すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

クリスマス振り返り3

私がインフルエンザに罹患し布団から出られない日が続いた時がありました。家族を代表して母が私の一人暮らしのアパートに看病しに来た時に、料理も掃除も手伝わずに布団の中でスマホをいじる私にキレ散らかした思い出があります。布団から出られないくらい具合が悪かったのに、手伝わないと「わたしは奴隷だ」などと言う母の前で具合が悪くなることは許されません。しかし、ついに私には義実家でも具合が悪くなることは許されないことが発覚。これはコロナ初日〜2日目のお話です。

義実家に到着して3日目の夜就寝前、何となく喉が乾燥して少し痛い感じがありました。ドエムッシュも私も翌日の朝には咳が出て、抗原検査をしたところ、2人仲良く陽性反応。

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義実家への帰省直前に「それぞれ隔離すれば大丈夫だよね⭐︎」と、電話越しに話しました。しかし実際のところは、特にドM父はマスクもせず悠々自適に生活していたため、陽性反応が出た抗原検査を見ながら一度ドM父に心の中でキレていました。

我々が具合悪くなってから、義両親が彼らの症状を教えてくれました。義両親の体調の悪いタイムラインは次の通りです。

水曜日 喉の痛み

木曜日 熱+喉の痛み+咳

金曜日 熱+ダルさ+喉の痛み+咳

土曜日 ダルさ+喉の痛み+咳 

↑ここで我々が到着

日曜日 ダルさ+喉の痛み+咳

月曜日 ダルさ+喉の痛み+咳

↑ここで義両親のコロナ陽性が発覚(ドM母の中途半端な隔離が始まる)

火曜日 ダルさ+喉の痛み+咳

↑我々もコロナだと分かる

水曜日 ダルさ+喉の痛み+咳

木曜日 ダルさ+咳

金曜日 咳(ここから1週間程度ずっと咳だけ)

※嗅覚,味覚異常はなし

分かりますでしょうか。我々が到着する前にPCRを受けずにただの風邪だと言い張り、コロナが陽性だと分かるまで隔離してくれなかった義両親。我々がどんなに頑張ってドエムッシュの部屋にいても、義両親は家の中を徘徊するため、家の中は汚染されていたわけです。

私は頑張って家を消毒したり、換気したり、私の方ではできる限り頑張りました。でも義両親がそれでも自主隔離をしてくれず、ドエムッシュも義両親の行動に何も言わなかったせいで、義両親の配慮が欠けていたせいで私達までコロナに感染してしまったのだと思いました。義両親が自主隔離をした上で我々も感染してしまったなら諦めはつきます。私は泣きたい気持ちを抑えて抗原検査の結果と向き合いました。

ドエムッシュがお昼の前にリビングにいた義両親に我々も抗原検査で陽性が出たことを告げました。お昼前にリビングを出て部屋に篭るドM母。中途半端な自主隔離だなぁと思っていました。そして、我々がコロナに罹患してもご飯を作るのは私たちです。みんなコロナだからそこは別にいいですけどね。その日のお昼はドエムッシュの提案でタコライスを作りました。

お昼ご飯を別々の部屋で食べていると、いつもは「おいしい!」と言ってくれる義両親が無反応です。そして、ドM母は「このワカモレ辛いから食べないわ」「タコスとか慣れないわ」など、文句タラタラで、私の心はもうダメでした。その時です。別室から突然ドM母の絶叫が聞こえて来ました。

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私(えっ!これドM母?!これが前に聞いてたヒステリーの発作?!)

ドM「ママ大丈夫?!」→リビングに走る

すると、ドM母は部屋に設置してある庭に出られる大きな窓を音を立てて開けて、ザーザー雨が降っている外に出て何かを必死に叫んでいるではありませんか。声の大きさはまるで運動会の指導をしている教員のよう。向こうの農場にまで声が聞こえているのではないかと思いました。そして、我々が唯一聞き取れた言葉は「ここの家は金輪際安全な場所じゃないんだ!」という言葉だけです。

ドM父がドM母をなだめようと声をかけたところ、ドM母は何かを叫びながらダダダダ!と階段を駆け上がり、ドン!と音を立てて部屋のドアを閉め、1時間以上も2階の部屋に篭っていました。ムードは最悪です。ドM父はドM母に付き添って部屋に篭り、2階の雰囲気が怖すぎてドエムッシュと私は1階のリビングに取り残されてしまいました。

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テーブルの上を見ると、お口に合わなかったのか気分の問題なのか、ほとんど手付かずのタコライスがありました。ドM父に関してはご飯が冷めたから残した説が濃厚です。ドM両親が南仏に来た際に一度作っているので、おそらく絶対気分の問題です。

第191〜197回 コロナ飯 - すみれの部屋

恐ろしいほどの静寂に包まれた部屋で雨の音が聞こえる状況に耐えられなくなり、我々はテレビをつけました。するとドM母がしばらくして下に降りて来たのですが、さっきの発作がウソのように、ニコニコしています。先ほどのことは無かったかのような朗らかさで、何事もなかったかのように、テレビについてハイテンションで解説してくれました。私は内心ビビりながらも、伊達に機能不全家族(私の実家)と30年間付き合って来たわけではないので、喉の痛みを無視して朗らかに対応しました。ドM母の気分の変わりようを目の当たりにして隣でドエムッシュは固まっていました。

ドM母は車の中や人混みや慣れない環境では、過呼吸になったり、怒りっぽくなったり、泣いたり、ものをぐしゃぐしゃにすると聞いてはいましたが、今回はドM史上最もヤバかったそうです。「ママコワイデス、モウツヨクナイヨ」と言っていましたが、私から見れば、適切な医療的アプローチが必要なのでは、という印象です。そっちの方がドM母が生きやすくなると思い、ドエムッシュに私の意見を伝えると、その後タイミングを見計らってドエムッシュはドM父に話しました。すると、ドM父は「ママは普通だよ。2人がコロナになってショックなだけさ。」と言うのみ。

ニコニコしていたドM母がタコライスを無慈悲にもゴミ箱に捨てていた時は目が座っていましたが、その後、テレビをみてゲラゲラ笑っていました。我々(少なくとも私)は、義両親と同じ空間にいたくなかったので、2階に上がっていました。しばらくするとまたドM母が絶叫しています。コロナの検査をしに薬局に行くため、下に降りるとドM母の慟哭がはっきりと聞こえ、私はもうドM母と顔を合わせるのが辛すぎたので、ドエムッシュに「薬局に行ってくるよ!」と義両親に伝えてもらいました。

検査はもちろん陽性、武漢肺炎(コロナ)オミクロンBA.5でした。帰宅後、ドM母はオペラを歌っていました。ドアを開けた瞬間、義母のオペラが聞こえてもう南仏に帰りたくて仕方なかったのですが、移動できないので義実家で待機です。

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帰宅後は、ドM父が晩ご飯を作ってくれていたのですが、マカロニに細かく切った厚切りベーコンとタマネギとチーズを加えてオーブンで焼いたもののみが出て来ました。コロナ患者がいるのに、塩分と脂とカロリーしかないもので、せっかく作ってもらったのに、具合が悪いのも相まって「これだけかよ!こんなの食えるか!」とキレそうになりました。栄養バランスは最低ですが、味は良く、美味しくいただきました。その後、栄養バランスとお通じを考慮し、ドエムッシュの部屋でこっそりフルーツのコンポートを食べました。

ドM母がヒステリーの発作を起こすことは伝え聞いていたので(実際はドラマでしか見たことがないような発作でしたが)コロナ感染の序盤から、義母を刺激しないよう元気なふりをしていました。我が家で特殊な訓練を積んだ私にとっては朝飯前です。しかし、ストーブをどんなに焚いても寒すぎてブルブル震えている時はどうにも取り繕えないので、ドエムッシュの部屋でパラセタモール(日本だとカロナール、フランスだとドリプラン)を服用して震えと悪寒が収まったころ、下の階に行って水をもらい、リビングでテレビを見ているドM両親に「体調は?」と聞かれるたびに「うん、喉痛いけど元気だよ!」と熱が上がっていたことはひたすら隠し、空元気な様子を見せていました。その横でドエムッシュは「ボクは頭が痛いかな…ちょっと…熱っぽいかも」などとほざいていました。

義実家の体温計は電池切れで私はぶるぶる震えるほど寒かった時の体温は知りませんが、その後薬を服用して熱を下げて、薬が効いている時に体温計を買って測ったら38度前半でした。薬を服用して38度台だったので、部屋が寒すぎるあの感じだと39度台だったにちがいありません。そして肝心のドエムッシュは36度台で「あれ、熱いのにおかしいな…」と言いながら何度も計測していました。具合が悪くなりたい人に限ってコロナになっても悪化はしないようです。

ドM両親とその長男夫婦がコロナになったため、クリスマスはドM弟とドM妹がそれぞれズームを繋いでお祝いしました。ドM弟と人間嫌いのその彼女は最初の30分だけ、ドM妹は4時間付き合ってくれて義母はアゲアゲでした。その後も帰宅まで義母を刺激しないよう、元気を取り繕った嫁。私の想いよ、逝きなさい。

こちらで大体私の体験は供養済みです。次回、クリスマス振り返りは、キリスト教国、クリスマスの偽善に対するモヤモヤを最後の供養とさせていただきます。

クリスマス振り返り1 - すみれの部屋

クリスマス振り返り2 - すみれの部屋

クリスマス振り返り4 - すみれの部屋