すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

変わらない親戚たち

祖父が亡くなった時期は、他のご家庭の不幸も重なったようで、安置所もお寺も葬儀会社も火葬場もフル稼働で、お葬式がすぐに出来なかったため、私たちも火葬に間に合わせて帰国することができました。羽田で一泊してから、最寄りの空港へ飛んで葬儀場へタクシーで直行です。運ちゃんがとっても親切で、山菜の話からクマの話から色々話してくれて私は気が紛れました。本当にあの方で良かった。

出棺には間に合わなかったので、火葬場に着いて祖父と家族の到着を普段着で待機し、みんなが到着したところで、家族が持ってきてくれた喪服に着替えました。ところが、何だろう、この殺伐とした空気は。。

火葬場ですぐ異変に気づく私。おじいちゃんが亡くなったとは思えないこの空気感。張り詰めた空気と会話のないいとこたち。またここでも我々姉妹がクッションになり場を繋いでおりました。現在休職中のいとこが、おばあちゃんのために車を出したり必要なものを届けたりと、祖父母のサポートをしていたので、思い入れが人一倍強く、今回は先頭を切って色々と立ち回ってくれていました…が、、どうやら周りの感謝が足りないようで不機嫌不機嫌。それに油を注ぐ形で、いとこのお兄ちゃんが相変わらずのトンデモで、高い靴を濡らしたくないからと、大雨の中火葬場のスリッパで外に出ようとして周囲に止められていました。するとなんと「スリッパで外に出てはいけないという法律はありません(キリッ)」と言うものですから、火葬場の空気が変になり、親戚は一時退散です。

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待合室では、父方の祖母と、今回祖父を亡くした母方の祖母がひ孫トークで盛り上がっていましたが、父方の祖母が補聴器を忘れてしまったので、全く噛み合わない話。さらに、何も聴こえていない父方の祖母は、いとこ家族に話しかけられても反応したりしなかったり。そんなことが続いた結果、おじいちゃんという認知症ポジションがいなくなった今、父方の祖母がいとこたちによって認知症ポジションに据え置かれ、妹のドラミちゃんは「じぶんのおばあちゃんの面倒は見てね!」と言われ、何かモヤモヤしておりました。そりゃそうだ。ご飯作ってくれるし誰よりも家事してるんだもの。

そんなこんなで、火葬場では、私たちはお客さんとして扱われていましたが、地獄のような空気感が「おじいちゃんが亡くなった」という事実の現実感を軽くし、喪主として何故か張り切る母、おじいちゃんとずっと交信するおば、絶交中のいとこ兄弟、息を潜める父、諦めた表情のドラミちゃん、と、相変わらず祖父だけが安らかな顔をしたままの最後のお別れとなりました。

あまりにツッコミどころが多すぎて、悲しさよりも戸惑いとツッコミに脳の容量が割かれ、火葬直前は悲しかったのですが、1日が終わる頃には、おじいちゃんが生きていた時に過ごした殺伐とした新年会のあとと同じ種類の疲れがドッと襲ってきました。

お葬式の日は特別だと思っていましたが、昔から変わらない親戚たちを見ていて、悲しみの中にも日常が淡々と続いているのを感じました。火葬葬式と同日で色々行ったので、変わらぬ彼らへの安心感とうんざりと疲れが1日の終わりにどっと押し寄せてきました。結局生きてる人たちと生活は続いていくんだな、と強く感じた日でした。

まさかの保育園からの課題

日本の保育園では「手作り」で何か作ってください、という親への宿題があると聞いたことはありましたが、なんと娘の行っているフランスの保育園でも手作りの課題が出ました。

保育園では本を貸し出してくれているのですが、借りた本を入れる巾着袋を作ってくださいとの課題で、白い無地の布と紐が一本支給されました。

さて、秋休みは保育園が閉まってしまうので、私は半分仕事半分子育てということで、ほぼ8割方子育てに注力、睡眠時間を削って針仕事と労働と、秋休みの方が休めなかった1週間でした。

針仕事なんて慣れないことをしたので、頑張った娘と私の共同製作した巾着をここに共有させてください。

では、ドン!

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こちらの面には布用絵の具を塗ったくってとった娘の手型と、アルファベットで名前を刺繍↑

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こちらの面には、布用の絵の具を垂らして、上にラップをかけて娘が手と足で絵の具を伸ばした作品と、漢字で名前を刺繍(これは仲良しのイタリア人のママ友の提案)↑

名前は必ず書くこと、子どもとの共同制作にすること、とのことで、こんな感じになりました。

布用の絵の具は乾いた後に5分アイロンに当てて色を定着させたらお洗濯も可能とのことでした。

裏地もつけてもいいとのことだったので、ミシンでガガガと縫い付けましたが、裏地も娘チョイスです。器用な同僚に袋縫いもいいんじゃない?と教えてもらったのですが、本を入れることも考えて2枚重ねで作りました。裏地に隠れてアラも目立たないし結果として2枚重ねの巾着で良かったかもしれません。2年ぶりにミシンを使いましたが、細かいところに目をつぶれば何とか大丈夫でした。

お花の刺繍はネットで見たものを見よう見まねでやってみたので、ど素人丸出しの出来ですが、7時間くらいかかってやっと終わらせることができました。力を入れて作ったので、娘がこれを使わなくなったら、私のコレクションの一部になる予定です。

妙齢美少女は今日も独身街道まっしぐら

一人暮らしだった頃のドラミちゃんは、なか卯で躊躇なくウニに手を出したかと思えば、お高めのケーキなども平気で買っちゃうタイプで、「独身拗らせてるね」と私に言われていましたが、実家に舞い戻ってからもグルメをお取り寄せして、父と祖母に美味しいものをデリバリーしている独身にパワーアップしております。

さて、そんな独身妙齢美少女のドラミちゃん、顔よし頭よし気立てよしセンスよしという四拍子揃っていて、私と血がつながっているのが奇跡のような子ですが、めっぽう小さい子どもは苦手でした。

占い師さんから「あなた子ども好きでしょ」と言われた時は、「大好きです(動物の赤ちゃん)」という割に人間の赤ちゃんがそばにいると近寄ろうともしないドラミちゃん。しかし血縁の人間の姪が生まれてからは、ありがたいことに可愛い女児服を大量にプレゼントしてくれるし、遊び相手までしてくれるようになりました。そして外で小さい子を見ても警戒していない様子。本人曰く「あーちゃろと会ってからびっくりするくらい寛容になった」そうなのですが、幸か不幸か、ドラミちゃんの心境の変化は母方の祖母がいち早く気づいていたようでした。

祖父の葬式に帰った時、やれドラミちゃんだってそろそろ子どもが欲しくなっているのでは、やれ結婚相手は、など聞いてきたのでことごとく否定しましたが、おじいちゃん本当に死んだんだよね?!と疑問が浮かぶほど、祖母の興味はドラミちゃんの結婚&出産へとシフトしておりました。

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母方の祖母宅と実家は歩いて10分弱の距離なので、翌日は娘と実家へ。忘れ物に気づいて祖母宅に行って、その間ドラミちゃんと娘は一緒にエビカニクスを踊っておりました。まさか小さい子を目の当たりにしても狼狽えないドラミちゃんがいるなんて、数年前は考えられませんでしたが、これが母方の祖母にとっては、・うれしい変化だったようです。

忘れ物を取りに行ったところ、祖母が「あれ?あーちゃろちゃんは?」と聞いてきたので、ドラミちゃんと遊んでると答えたところ「やっぱり子ども欲しくなったかしらね?そろそろそんな歳だよね?おばあちゃんはドラミちゃんの歳には子どもが2人…」と話し始めたので、「ドラミちゃんは結婚しないし子どももいらないらしいよ!」とドラミちゃんの代弁をしておきました。

しかし納得していない祖母。祖父の介護から解放された祖母の今後当面の興味はドラミちゃんの結婚になりそうな予感をひしひしと感じながら帰路に着いた次第です。

祖父の置き土産

先日祖父が亡くなり、日本に子連れで帰って参りました。機内に1泊、羽田に1泊、実家に1泊、機内で1泊と、かなりハードスケジュールだったことはいずれ。

祖父は武漢肺炎(COVID-19)の変種により入院、その後症状が良くなったと思いきや、誤嚥性肺炎で入院が延期となり、しばらくは心配な様子が続いていました。ドラミちゃんが幸い(?)地元で就職しているので、祖父が入院した時から亡くなるまで、色々と中継してくれたので、半分は心づもりはできていました。

もちろん母の様子も逐一報告されるので、母のヤバさが露呈しまくりです。何せうちの母は勝手な人間なものですから、祖父が棺桶に足を突っ込んでいたのにも関わらず「しばらくは仕事が詰まってるから、死ぬなら11月に死んでもらいます」と父の前で宣言していて、父、ドン引き。

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そんな予断をゆるさない時期が約1ヶ月。私がそろそろ寝ようかなと思っていた夜、ドラミちゃんから電話がかかってきて「ついに危篤だ」という中継だったのですが、我々の裏番組の進行中には祖父はもう息を引き取っていました。

奥さんと娘家族に見守られての臨終、最期はさみしくなかったかな。母の願いもむなしく、あっけない最期で、母は詰まっているという仕事を休みにしてなんと喪主に。おじいちゃんが旅立ったというのに、母は喪主としてその場を張り切って仕切り出し、ダークホースとして伯母が仕切り、祖母は介護から解放されてハイになり、状況は混沌を極めはじめておりました。

ここから忌明けまで、親戚がそれぞれ「ほうれんそう」なしに動いたことや、話し合いをしないで殺伐とした雰囲気になっており、とんでもない置き土産を置いていった祖父だけが安らかであったのでした。

猛毒も使いよう

母は口癖のように「毒親毒親」と言うのですが、自分は毒親じゃないよね?と言う確認のために言うので、子どもたちは反応に困ってしまいます。

放任主義の親の子が東大に行ったり、教育ママの子でも中々うまくいかなかったり、世の中はうまくいかないことに溢れていますが、置かれた境遇の中で自分の生き方くらいは自分で決められるので、どんな親だろうが人の道を踏み外さなければ正直そんなに大きな問題じゃないと思っています。

流石に我が家のヒロイン(母)は娘に痣を作ったこともあるので褒められた親ではありませんが、どうやらその事実を認めたくないのか、はたまたは娘に毒親であることを否定してほしいのか「ママはぁ、毒親だけどぉ、娘たちのことを〜」と、私の妹の前で言うそうですが、その度に妹のドラミちゃんはのらりくらりとかわしています。しかし、度々月1回程度会う母親相手に15分でキャパオーバーして私に連絡がきます。

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母には憧れを拗らせて見下している元同僚がいます。母の言葉を分析する限り、仕事ができて美人で、しかも旦那さんが社長、でも子ナシだから美容にかけられるお金も時間もある、という認識なのであります。そんな彼女を見ていると、やはり私とドラミちゃんアンチエイジングがしたくなるのですが、母はアンチ・アンチエイジング派(なぜなら私は何もしなくても若いから〜ァァァァッ!)なので、ちょっと見下したように「彼女はない、よくボトックスとかやってるんだよ」と言ってきます。

一応ボトックスという存在は知っている母。そこでわたしは「ボツリヌス菌は時に猛毒だけど、薄めればアンチエイジングにも使えるよ」と一言、家族LINEで母にテキストを送りました。母は「はーい、よかったです‼️」と言う返事をしてきましたが、果たして自分が猛毒だと暗喩されたことに気づいているのでしょうか。いえ、まさか気づいているわけがありません。

しかし母も最近20代の若い同僚が多い職場で周りに刺激されているのか、美容に興味を持ち始めた模様。毒親だなんだ、人として尊敬できない、なんて思いながらも、なかなか目が離せません。

時短勤務から1ヶ月

時短勤務になって娘との時間が少しだけ増えました。相変わらず週3日は夜7時まで仕事が入っていますが、お転婆娘で目が離せなくなった最近はずっと怪我をしないように追いかけ回しているので、体力が温存できるのが時短勤務のいい点だなと思っています。残業時間を入れると時短勤務もほぼフルタイムですがね。

実家はともかく義実家も電車移動または車で片道2時間の場所なので、気軽にお世話を頼めないし、毎日保育園に預けているとはいうものの、6ヶ月を過ぎてからは、フルタイムだと娘が具合が悪くなった時に調整できる時間が少なかったので、このタイミングで時短勤務になったのは良かったのかなと思います。

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1歳前にはもうつかまり立ちをしてから手を離して勝手に立てていたのですが、1歳と1日で突然立ち上がり、1歳と4日で歩き始めた娘。今では道路に飛び出す勢いでタタタタタッと進むので、危なっかしくて神経を尖らせながら過ごす日々です。

今と去年を比べると、産休もそこそこにフルタイムで復帰、完全母乳で育児はあっという間に体重を元に戻してくれた(妊娠で17キロ増えたけど、するすると15キロ減った)以外は特に良いことはなく、職場でサンドイッチを買って、仕事部屋の移動時間にパンを齧って、保育園から電話が来ればすぐに母乳をあげに行っていました。しかも、残業を入れると160%くらいの勤務時間で、本当に良くやってたなと思う一方、去年の記憶が忙し過ぎて全くありません。日記つけててよかった。

6ヶ月を過ぎてからは面白いくらい月に1〜2回は風邪をひくし、40度の熱が出たことも1度ありました。中耳炎だったんですが、あの時は焦った…

ということで、娘を預け始めた3ヶ月から5ヶ月までは朝、お昼前、お昼の後、夕方と母乳をあげに行っていましたが、離乳食が始まってからは、保育園に母乳をあげに行くのは1日2回になって楽になりました。ただ、娘が6ヶ月からは風邪をひいて通院などもあったので、そのあたりからフルタイムでは体力がもたないかも…なんて思ったり。

妹のドラミちゃんには、育休もとらずに復帰してフルタイムに加え完全母乳でいることに関して、「ミルクにすれば他の人に任せられてお姉ちゃんの負担だって減るだろうにこだわりを全て実現してるのすごいと思う」と言われました。でも、私の場合、母乳を出してしまってからはノンストップなので、こだわりというよりも、the show must go on みたいな感じです。

娘が生まれてから最初は今が一番大変と思っていたのですが、6ヶ月を過ぎてからの体調の崩し方がひどかったり、頻度が高かったり、それに加えて分別はないのに活発に動けるようになった今、フルタイム勤務に頼る人がいない育児は辛すぎ!

私の場合、時短勤務になって正解だと思います。娘と過ごせる時間が確保できて、仕事もそれなりだし今のところ満足です!

ヒロイン(自称)

初めてiPadで描いたので、至らない部分も多々ありますが、お付き合いください。さて、娘を連れて一時帰国しておりましたので、早速思い出を形にしようと思い、iPadの練習がてらブログ更新です。

ドラミちゃんのお誕生日会&娘のお披露目がメインの一時帰国でしたが、相変わらずキョーレツな母が主役のヒロインの座を取っていくものですから、内心「わー」と思いながらも何故か同時に安心も重なり非常にビミョーな心境の一時帰国となりました。

私達は友人に会うために家を空けていた時の話で残念ながら母の同窓会の準備に同席できませんでしたが、妹のドラミちゃんが準備の全てを請け負ってくれました。

何年か前に買った緑のシフォン生地のワンピースはファストファッションのものなのですが、母の勝負服の定番となり、それに母はドデカくて平たいパールのネックレス、お土産で買ってきたエルメスのサンダル、去年プレゼントしたジバンシイのバッグをもって、絶対負けられない勝負の場へと向かいました。

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同窓会で母がいない夜はみんなでファミレスに行ったのですが、母も途中で合流です。さて、ここからは母談。後日祖母に「同窓会どうだったの?」と聞かれた母。

同窓会では、名前を言われないと分からないほど変わり果てたおじさん、65に見えない人おじいちゃんもたくさんいたんだそう。母のことはみんな気づいてくれたそうで、至る所から「若ーい」と言われたそう。おじさんたちにも「えっ!あんたはもしかして栗ちゃん?!」と言われて、「同い年には見えない」と口々に言われ、さらには埼玉の同級生にも若く見えるね!と言われたそうです。

母の口調からは、母がまるで30代に見えているかのような感じに聞こえて、私自身は歳の割には若く見えてるだけなんじゃ…と思いましたが、水を差さないように沈黙を貫きました。

しかし話の着地点が「んまぁ、同窓会を一言で表すると、わたしが一番若かった!ってことかな!」だったのには流石にずっこけましたが、少しはこのメンタリティを見習った方が人生楽しいんだろうなぁと思った次第です。