すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

切っても切れない絆とは

父は一人っ子で祖母から相当甘やかされて育ってきたため、ご飯を食べた後に皿を下げなければ、皿洗いもしません。朝ごはんは結婚してからずっと父が作っていますが、後片付けはおばあちゃまが全てやるので、父の仕事は朝食を作る以外は食い散らかすことがメインです。それに、小さい頃は親の言うことを信じて育ってきましたが、案外親が間違っていることに気づき、それを指摘しようものならば、父は話を中断して退席します。電話なら話の途中で容赦なく切るし、自分に都合が悪い状況だと私やドラミちゃんを勝手に精神病傾向がある人間に仕立て上げることもあります。話し合いができない大人なんて最悪ですが、それでも私と父は切れそうで切れない絆があるのです。

母と私は昔から折り合いが悪く、物心ついた時から母と私は反発しあっていたので、何かあると母は私にキレ散らかすのが日常茶飯事でした。ただ、母親は母親でも教育ママなので、子どもたちへの作文の指導と称して、日記を書かされていました。日記を書くと数十円、100円もらえると言ったもので、毎日コツコツ積み重ねられるドラミちゃんは、一点集中型の私よりも稼いでおり、赤いカバさんのお財布は小銭でパンパンになっていました。ドラミちゃんはよくそのカバさんのお財布から小銭をジャラジャラ出して幼稚園児のくせに既に金勘定をしていました。

丸々太ったカバさんのお財布でしたが、ある日母がお財布に余裕を作るために両替をしたようです。しかし、小さいドラミちゃんは1000円のお札よりも50円玉20枚の方が嬉しいお年頃。軽く薄くなったカバさんを見て大騒ぎしていました。

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母は自分が両替をしたのを本気で忘れたのかどうか、今では笑って誤魔化すだけなので真相は闇に葬られていますが、ドラミちゃんが騒いだことで私を血祭りに上げ始めました。やれ「すみれが金を盗ったんでしょう!本当のことを言うまではご飯はあげないからね!」だの、やれ「ドラミちゃんは毎日金勘定してたんだから、金が無くなったと言ったら無くなったに違いない。うちに泥棒が入ったのか?泥棒はお前だろ!」だの、なぜか小学生にして私は我が家の泥棒ポジションに成り下がりそうになっていたのでした。

そうやって身に覚えのない罪を言われ続けていると、どうやっても信じてもらえないだろう、と思って絶望感に苛まれ始めた頃、母ではない別の味方を身につければいい!と天啓が降りてきました。母とバトっていた私はカバさんのお財布がある2階の母の部屋にいました。この日父は幸い居間にいたので、下に降りて事情を話すと、「すみれはそんなことする子じゃない!」と母に言ってくれました。父は母の機嫌を損ねないように、基本的に母が怒っている時には保護色のオーラを身に纏い静かにしています。それに母には献上物を沢山あげて、母の機嫌を(未だに)取っている父。そんな父が私のことで母に異論を唱えたのですから、そこはちゃんとした父親として評価すべきでしょう。

結局、その日は父がその場を収めてくれましたが、ドラミちゃんのお金が無くなったことに関しては言及はありませんでした。後日母が両替に気付いたのかどうか知りませんが、それ以降私がドロボーと言われることもなくなりました。

最近ではドラミちゃんが必死に貯めた10万円分のマイルを勝手に使った泥棒は父親でした。ケチだし口が臭いし話し合いができない62歳児の泥棒父さんですが、こんな幼少期の記憶から、父には親子の絆を感じずにはいられません。

泥棒父さん - すみれの部屋