すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

思い出は美しいままに

思い出は美化される、など良く言われますが、美化しても最低な思い出はどうなるのでしょうか。私の両親の記憶は常に都合の良い上書きに上書きを重ねて遂には記憶が改竄されるとこほまでが一連の流れ、つまり、記憶がコロコロ変わるのが初期設定です。都合の良い大人たち。絶対一緒に暮らさない。

しかし、記憶はいつから始まるのでしょうか。それはどうやら命の危機に晒された時に始まるそうなのです。ちなみに私の記憶は2歳ころ、長靴の底を舐めてキャンビロバクターになり、玄関前の廊下に設置されたおまるにまたがってしばらく私の身体を案じる大人たちに囲まれている構図ははっきり覚えています。

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さて、そんな私の記憶でもう一つ鮮明な記憶があります。それは、母に用水路の上に逆さまに吊るされた思い出です。おばあちゃまはそれはそれは料理がとても美味しいのですが、ステーキだけは歯が取れそうなほど固く焼く傾向があります。そして、おばあちゃまが作る料理は大人も子どもも同じ、しかも量もそんなに変わらない。その上安い肉を使うので、筋が固くて噛みきれません。その日の夜もステーキでしたが、私は一切手をつけずに、ステーキを残してやり過ごそうとしていたら、母が突然キレて、私の足首を掴み、家の近くの用水路まで連れて行って、「食べる?それともここに落とされる?」という生命を脅かす選択を迫ってきました。さすがの幼稚園くらいの知能の私ですら「食べると言わないと死ぬ」と言うことが分かり、「食べる、食べる!やめてやめて!」と喚き、逆さまのまま家まで連れて帰られたことがありました。その他にも「あんたのことなんて産まなきゃ良かった」や「ドラミちゃんはあんたみたいな失敗作にしない」などもはや親が言うセリフか?!というような暴言を言われて育ちました。よくもまあ、今リベンジポルノのような家族を晒すブログで済んでいるなぁと思います。

さて、そんな暴言マシーンの母ですが、同時に美談製造マシーンでもあります。この前おばあちゃんの誕生日に小さい頃の写真を見て、小さい頃の思い出について話していた時に、用水路の上に吊るされた話をしました。すると母は「今そうやって好き嫌いのない子に育って、ママの誇りだ」と言うではありませんか!子育てメイトさんが頻繁に実家に来ており、絶対地域から目をつけられていたであろう家庭なのに、過去のことになると全て美談に仕立て上げる母です。

母はきっと心のアルバムを捲るとキラキラと宝石のような思い出達が出迎えてくれるのでしょう。私にとってはパンドラの箱ですけどね。結構な話です。