すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

帯の上を歩くのは文化の冒涜か

私がお母さまの鑑と崇めている工藤静香さんの娘さん、kōki, ちゃんがモデルを務めているヴァレンティノの広告が大炎上しており、野次馬魂で色々と見てみました。キャンペーンの動画が消される前にチラッと見ていたのですが、お恥ずかしいことに『草迷宮(くさめいきゅう)』を知らなかった私は早速勉強をしました。

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泉鏡花先生の作品は今までいくらか拝読しています。どことなく霞がかった幽玄な印象を受けていましたが、草迷宮も例外ではありませんでした。そして、ヴァレンティノのキャンペーンを製作したディレクターが参考にしたという寺山修司監督のものもYouTubeにあったので、活字と映像も見比べてみました。

Grass Labyrinth by Shuji Terayama with English Subtitles - YouTube

ちなみに彼の作品は青空文庫で読むことができます。アプリをダウンロードするとスマホで本を読んでいる気分になります。

泉鏡花 草迷宮

まず、個人的な感想です。活字と映像の2つを比べると、『草迷宮』の映像の方が全体的に退廃的でした。活字だともっと田舎の明るい時間に物語が展開されていくような印象でしたが、映像はもんのすごく退廃的で暗くて、活字では実在するかのように描かれていない人物が、映像では隣人かのような描写がなされていて、今回のヴァレンティノのキャンペーン広告は完全に寺山修司の映像を切り取ったんだなということが分かりました。ということで、今回は『帯の上を歩くのは文化の冒涜か』というテーマですので、私の感想はここら辺でやめておきます。活字と映像のギャップレベルとしたら、体感としては『ハリーポッターと炎のゴブレット』あたりから最終話までの本と映画くらい違いますね。

寺山修司監督の『草迷宮』に関しては、たしかにキャンペーンのような描写がありました。でも、これはあくまで帯は女性のテリトリーの象徴として演出されていた訳です。着物を着た女の人が服を脱いで主人公を求める、そこから逃れる少年。その状況に混乱した少年は帯の上を全裸で全力で駆け抜けます。この描写は中々迫力があり、帯の上を駆けているというのも文化的背景やストーリーと合致していて嫌な気持ちはしませんでした。

ではなぜ帯の上を歩いただけで炎上したのか、それはおそらく監督が泉鏡花の『草迷宮』ではなく、寺山修司の『草迷宮』の気に入った部分や印象に残った部分だけを切り取り、そこなら無理矢理西洋文化(土足で屋内にいる、洋服姿)をねじ込んだからじゃないかな、と思います。映画はストーリー性があるし、着物を着ている時代のお話なので、帯の存在意義や象徴しているものなども分かりやすいのですが、キャンペーンの映像の場合、突然帯の上をモデルさんがヒールで歩いているのを見たら、日本人なら拒否反応が出てしまうのも頷けます。

受け取る側の人間はほとんど素人、しかも『草迷宮』を知っている日本人はどれほどいるのでしょうか。その上、ハイブランドと言われるアパレルブランドが日本をはじめとする海外の衣料を敷物、乱暴な言い方をすると「踏みつけるもの」として突然目の前に現れたら…私ならショックですね。日本人モデルを相手にそれをやるなんて、大袈裟に言うと踏み絵みたいなものだと思います。

今回の問題は、寺山修司が監督した『草迷宮』のオマージュと言いながら、演出だけを切り取って、ストーリーを排除したことではないでしょうか。あれだと単に帯を歩いている女の子、手毬をついている女の子、という印象が強いです。それに、寺山修司の『草迷宮』に出てくる女性は長年運命の相手を待っていて、中々相手に巡り会えない運命から彼女の人生に影を落とす歳上のお姉様なので、やはりストーリーとはかけ離れていたのではないかと思います。帯にも手毬にもそれぞれ物語の象徴としての役割があり、単なる飾りではないんですよね。

やはりグローバルな世の中、相手の文化の表面だけを見るのではなく、その国の有する文化の背景を理解して、各文化を有する国々の人に受け入れてもらえる努力が大事なんだなぁと、海外で暮らす私自身、身が引き締まる思いです。監督さんが「クールジャパン!」と思ってくれていることには日本人として光栄に思うのですが、今回は外国人的な視点での演出に焦点が当たりすぎており、日本の着物文化や泉鏡花の『草迷宮』へのリスペクトに欠けたものだったかもしれませんね。

ヴァレンティノが公式Twitterで冒涜するつもりはなかったと言っており、それはおそらくそうなんだと思います。しかし、クールジャパンの一言で、日本人が不快になって炎上するほどの演出をしたことに関しては事実です。オマージュというだけでアパレルブランドが帯を地べたに敷いたり、和風の家の敷居の上にモデルを土足で立たせりと、日本の文化をガン無視ていることを受け入れられない人が多いのだと思います。難しい問題ですけどね、でもその国の文化を正しく理解しようとする努力はいつの時代も必要なんですね。