すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

日本の家族紹介

うそみたいに聞こえるかもしれませんが、これから書くことは全て本当の話です。思い切って我が家の恥を晒していきますので、いろんな家族がいることを知っていただけると幸いです。

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私は5人家族で育ちました。家族の似顔絵、頑張って描いてみました。

戦時を生き抜いた化石のような祖母

高度経済成長を生き抜き老害となった父

陰キャ出身パリピを経て態度がデカくなった母

20代なのに40代と間違えられる私

20代なのに中高生に間違われる妹

この5人で私が18で一人暮らしを始めるまで一緒に暮らしていました。両親が共働きなので祖母が学校の送り迎えや家事全般をしてくれていました。

とにかくプライドがなさそうで、めーーーっちゃ高い父親のプライドを守ろうと祖母と母が必死で、どっかの北の国も真っ青の言語統制の下育ちました。その割に私は失言ばかり。

ピアノは5歳から10年(週1)

英会話は7歳から4年半(週1)

通信教育で書道を15年(月1)

そろばん3ヶ月(週3)

スイミング1ヶ月(週1)

結構いろんな経験をさせてもらいました。

小中学生の頃は、2階のベッドにゴロゴロして読書や昼寝をしていると、下から足跡を忍ばせた祖母がやってきて、突然部屋の引き戸をガラッと開け、「勉強しなさいッ!」とかなり叱られていました。私の部屋は午後4時頃になるとおばあちゃんチェックが入っていました。おかげで今は小さい振動だけで家の中を誰が歩いているのか分かります。いつも1階の台所と居間のテレビをつけっぱなしの祖母は、母にグチグチ嫌みを言われていました。母からつけられた祖母のあだ名は「テレビっ子」です。

母とは折り合いが悪いので、反抗期は「あんたなんて産まなきゃ良かった!」と言われ「クソババアしね!」と口答えする日々。ほとんど2人だけの思い出はありません。『ハッピーバースデー』のように声が出なくなるどころか、相手に負けないようにまくし立てていましたが、共感性が無い母に勝てるはずもなく。これがたぶん「負けるが勝ち」ってやつなんだなと今になって思います。

父は事なかれ主義なので、釣りなど色んなところに連れて行ってくれるけれど、母との対立などで本当に誰か必要な時には、「バーイ!」とポッと消えてしまうので、私が口が悪く育つ原因になったのは父親だと思っています。

妹が生まれた瞬間から、仲良くなりたくてずっと頭の匂いを嗅いでいました。未だにミルクのような匂いがして、肌もピンク色だしすごく可愛いです。妹と同居を始めてからは、同じ部屋で隣に寝ている妹の顔を見ては世の中の全てに感謝していました。

母は今となっては家族が何のわだかまりもなく仲がいいと思っていますが、

実際は姉妹vs家族または家族vs母の対立が時々あります。でも面倒くさいので、実家で対立が起こっている時は、母にバレないように私だけに見えるテロップを流すようにしています。どうやら妹にも同じものが見えているようですが。

私ついこの前まで自分が一家の一番の問題児だと思っていましたが、どうやら母が一番の問題児な気がします。母のモラハラが始まると父はポッとどこか(基本畑)にいなくなります。母にちょっと気に入らないことがあると、人殺しをしたかのように責め立てられてしまいます。

これから私を海外へと掻き立てた家族のエピソードを少しずつ紹介していこうと思います。是非この機能不全家族をご贔屓にしていただけると幸いです。

母のエピソードが多めです。ご了承ください。

家族紹介 〜父編〜 - すみれの部屋

家族紹介 〜母編〜 - すみれの部屋

家族紹介 〜祖母編〜 - すみれの部屋

家族紹介〜妹編〜 - すみれの部屋