すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

フランス式お葬式の流儀

ドエムッシュの両親がとんぼ返りしたのを追いかけ、我々もど田舎までやってきました。昨日、お葬式が終わり村人たちも心の中で一区切りついたようでした。

義両親のとんぼ返り - すみれの部屋

失礼のないように、とわざわざ慣れないフランス語のウェブサイトを漁り、ドレスコードを予習、その後たんすをひっくり返して、スウェーデンで購入したリトルブラックドレスを引っ張り出し、ヨーロッパでは究極のファストファッション店であろうPRIMARK(プライマーク)でジャケットを買い、さらに黒いストッキングも出して、Chaussea(ショセア)という大型の靴屋さんで黒いシンプルなヒールも買ってドエムッシュの家に向かったのでした。

f:id:deb-log:20220529011322j:image

ドエムッシュも、190センチ69キロのガリガリ時代から、現在82キロまで太り、黒のスーツと黒のネクタイを購入しました。

…が、ドエムッシュのお父さんたちに

「え、そんなフォーマルじゃなくていいんだよ、遺族だけだよそんなの着るの」と言われ、ドエムッシュは下をジーンズにして、ネクタイはつけないスタイルで行きました。私はというと、黄色いトレーナーしか着るものがなかったので、とりあえずフランスのウェブサイトに書いてたし、と思って上の写真のコスチュームを着て行きました。

結論から申し上げますと、私の服装は完全に遺族側のもので、みなさん暗い服の私服で着ていました。中には白い服に赤い鞄のおばあちゃんや、花柄のワンピースを来たおばあちゃんなんかもいました。ウェブサイトには、明るい色の服やジーンズはNGと書いてあったのに、村人たちのほとんどが私服で来るわ来るわ…。。しかも村には白人しかいないため白人の中にポツンと私だけが黄色人種。私は完全に服装をミスったアジア人のポジションを確立したのでした。

お葬式が始まる30分前から教会が開いており、我々も開始35分前には教会に着いたのですが、時間にルーズなフランス人がもう既に250人ほど来ていました。小さい教会でのお葬式のため、160人くらいは中に入れるのですが、私達は教会の外にいるしかありませんでした。その後も近くの村から人が集まり、結局450〜500人くらいに見送られながら若い農家の彼は旅立ったのでした。

ドエムッシュの出身地は隣の家まで歩いて数分という感じの広大な土地で、ある職業といえば農家、教員、公務員、銀行員、郵便局員くらいのほんとに何もない場所です。そんな中で、若い農家が転落死したという今回のニュースは村から村へと駆け巡ったようで、お葬式には彼の死を悼む人たちがごった返していました。

お葬式は、聖歌隊が30分前から歌っていました。

お葬式の流れです:

牧師さんの挨拶→讃美歌→生前の彼の話を少し→讃美歌→讃美歌→遺族から亡くなった彼に対するお別れの挨拶→讃美歌→讃美歌→牧師さんの話→讃美歌→献金の徴収→讃美歌→讃美歌→讃美歌→誰かからの彼を見送る言葉→讃美歌→村人たちが最後に枕元で胸の前で十字を切ってお別れの挨拶(一人一人)

讃美歌は、今回は何故かハモりたい牧師さんだったので、突然副旋律が大音量で、しかもおそるおそる始まります。音を探りつつしかも歌えるところしか歌わないので、不意打ちで調子っぱずれの讃美歌を聞かされる私は一人でガキ使をしていたのでした。ユニゾンで歌ってくれていたらそんな不謹慎なコントが脳内で始まらなかったのに。。

讃美歌の話は置いておいて、32歳の若さで亡くなった彼にはまだ小さい子どもと可愛い奥さんがおり、奥さんの慟哭が教会の外まで聞こえてくるし、遺族のスピーチも全ての内容が分かるわけでもないのに、言葉に詰まった遺族や涙声になる遺族の声を聞いて悲しい気持ちになって、私まで泣いていました。泣き腫らした顔のまま、最後の挨拶で胸の前で十字を切った私を見て、遺族席の人たちは「…誰?」となっていたし、亡くなった方のお母さんは私の顔を見ておそらく頭の中で知り合いのアジア人を探していたのでしょう、涙がピタッと止まりしばらく固まっていました。

献金は、銀製のお皿をもった業者さんが献金を求めて外を練り歩いていましたが、我々は人の波の中にいて献金ができなかったので、十字を切ってから、2ユーロの硬貨を献金したのでした。一人一人が献金するのですが、マックス5ユーロくらいで、多くの人が2ユーロを払っていました。これも私は予習済だったのですが、ドエムッシュの隣で悲しみに暮れるドM母に、ドエムッシュが「ねえ、献金ってマックスいくら?お札しかないんだけど…」とKYな質問をして、「シーッ!」と叱られしょんぼりしていたドエムッシュ。黙って異文化のお葬式を予習して、硬貨を複数枚準備して、2ユーロあげた私。ドエムッシュはどこまで行ってもドエムッシュでした。

最後のお別れの挨拶までで大体お葬式は90分でしたが、おそらく教会の敷地の外にあぶれていた人たちが挨拶を終えたのはお葬式開始から2時間後くらいなんじゃないかなと思います。

ドエムッシュのお父さんの農場の屋根には人が落ちたであろう穴がポッカリと空いており今後は修理のために業者さんを頼むようです。農家の彼は雨漏りを直そうと思って屋根に登ったようですが、、8メートルの高さから落ちて亡くなりました。突然のことで警察の調査などもあったせいか、亡くなってから1週間で葬儀が執り行われました。

村の老人がたくさん集まり涙していましたが、牧師さんは「長く生きながらえるよりも短くて美しい人生を歩んだ方がいいのだ」とスピーチをしていて、私はなんだかとても微妙な気持ちになりましたが、彼の冥福を祈りながら教会を後にしたのでした。