すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

孫贔屓の話

私たちは母方の祖母からなおざりにされている自覚がありますが、母方の祖母は頑として認めようとはしません。この贔屓の話は今に始まったことではなく、母と叔母が同時期に出産をして、2人が同時にたまたま実家に帰ったら、「あんたは帰りなさい」と母が嫁ぎ先に帰された辺りから何かがおかしくなり始めたようです。それまで散々甘やかされた母にとって、妹の叔母だけが大事にされていたように感じられたようで、姉妹関係にもヒビが入っております。

そして、私たちから見ても明らかに従兄弟たちの待遇が良く、モヤモヤ案件です。従兄弟たちは、あまり祖父母の家に遊びに行かないので、顔を見せるだけで喜ばれますが、私たちはしょっちゅう会いに行っているので、祖父母からありがたられたことはありません。強いて言うなら、都合のいい孫枠でしょうか。例えば、お正月の準備が忙しいアピールをしてくる祖母。それを見かねた母が朝から私を派遣して、色々とテーブルコーディネートやお部屋の整頓など8時間くらいに渡ってお手伝いをしても、みんなが集まった場所で

「はっきり言って使い物になりませんでした」

言ってのける一方、従兄弟が食べ終わった皿を下げると、それだけで川で溺れている人を助けて命を救ったかのように褒められるなど、本当にすごい差があります。それ以来二度とお正月のお手伝いには行っていません。

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今までは祖父母のタブレットを始めとする身の回りのお世話は私かドラミちゃんが月一で帰省していたころにしていましたが、今ではドラミちゃんの双肩にのしかかっており、ちょっと重荷に見えなくもありません。例えば、ドラミちゃんは祖母の新しいタブレットのセットアップをしたり、最近好き嫌いが激しいおじいちゃんの好きなかまぼこを買ってあげたりして心を尽くしているのに、人に物を頼む態度じゃない祖父母を見るとドラミちゃんはストレスで心臓がバクバクしてくるようです。しかも、ドラミちゃんがタブレットをセットしている横で、ドラミちゃんと従兄弟の比較をしては従兄弟を褒めちぎっていたようです。ドラミちゃんだって通訳のバイトや大学のバイトをしているのですが、祖母から見ると働いていないように見えるようで、パン屋さんでバイトしている従兄弟を引き合いに出してきて、「あんたは社会を知らない」と言われたそう。まぁ、従兄弟たちは叔母夫婦の仕事帰りを待つために祖父母の家にいて、祖父母(主に祖母)が面倒を見ていたので思い入れが違うのでしょう。それにしても、自分の孫を目の前にして、よくもまあそんなにいけしゃあしゃあともう片方の家族の孫をこれでもかとアゲにアゲまくることができるものです。

最近は武漢肺炎で中々会えていないようですが、祖父母は歳を重ねつつあるし、祖父母が亡くなったときに、あのときもっと会っておけば良かったなど後悔したくない気持ちから、母方の祖父母にも心を尽くしているドラミちゃん。本当私なんかよりもずっと人としてのレベルが高いです。

そんなドラミちゃん、昔から祖父母の手助けに拘束された日のお駄賃は500mLペットボトルのお茶と決まっています。私にはお菓子やスカーフなど現物支給です。ちなみにおじいちゃんが血を吐いて倒れた日、従兄弟は何も知らずに叔母の家で笑いながらテレビを見ていた(叔母談)そうです。しかし、救急車の付き添いで祖母がいなくなる時に、ドラミちゃんが祖母から召喚され、急いだドラミちゃんはスマホも持たずに祖父母の家に1日中いないといけない日がありました。鍵も渡されずに、ずっと祖父母の家にいたドラミちゃん、その日は2Lのペットボトルを貰ったそうです。ドラミちゃんのことをなんだと思っているのか知りませんが、多分孫の中でドラミちゃんが一番舐められているのだけははっきりした出来事でした。