すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

『オッペンハイマー』鑑賞・感想

今日は日本は広島に原爆が投下されて78年目ですね。私は偶然にも昨日、ドエムッシュとドエムッシュの友人と3人で、『オッペンハイマー』を観てきました。所詮アメリカの作った映画だから、と期待せずに観にいきましたが、アメリカ人の当時の様子や、政治家のスタンスが垣間見え、かなりムカつきはしたものの、世界の原爆の捉え方はこんなものなんだろうな、と思いました。しかしアメリカの大衆の反応に対して、オッペンハイマーの反応は原爆実験成功に良心が痛む描写もあり、オッペンハイマーは序盤こそサイコ科学者のように見えましたが、後半はサイコパスではなく、人間味のある科学者なんだなぁ(下半身も一寸ダラシないし)と思いました。

今話題の『バービー』については戦争や平和を軽視するような公式のプロモーションがあったため、日本人として鑑賞は断固拒否します。ただ、『オッペンハイマー』については、アメリカがどのように原爆を作るに至るまでを描いたか、オッペンハイマーの生涯についても気になったため、鑑賞することにしました。上映室は思ったよりも人がいて、階段を挟んで3つのセクションに別れてるのですが、真ん中のセクションはほぼ満員でした。

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映画は3時間で、構成は伏線を散りばめてあり、さまざまな時系列の場面が同時進行で、画面が切り替わり、最後に一気に伏線回収というような、序盤は置いてけぼりを喰らう感じでしたが、最後まで見たらスッキリまとまっていました。しかし、ストーリーについては結構荒削りな感じでした。オッペンハイマーが学生から研究者になるまで、マンハッタン計画を遂行するまで、原爆を投下してからその後の人生、と時代に翻弄された天才科学者の話として観ましたが、物理学者者の話としては、専門的なエッセンスが足りないような…気もしました。それに、広島・長崎への原爆投下後、オッペンハイマーが後悔なのか、自分の意図に反した原爆の使われ方をしたことに絶望したのか、負の感情に苛まれていた描写がありました。その感情を観客に共有したいなら、折角なら広島・長崎の被害の映像まで見せれば良かったのに…なんて思ったり。広島の被害の状況を説明する場面はありましたが、説明は音声だけで、オッペンハイマーの顔のアップだったので、残念でした。でもこれはアメリカの映画なので、正直なところこれが限界でしょう。現在なら戦争犯罪と糾弾されるような、焼夷弾や原爆の投下を行ってきたアメリカですから。

ナチスやロシアとの化学分野での競争から、マンハッタン計画アメリカの砂漠の真ん中で原爆を爆発させて威力を試す実験)までが盛り上がるように描かれており、広島と長崎はあくまでおまけ程度でしたが、あくまで『オッペンハイマー』の人生であり、原爆の話ではないので、これはこれでアリなんだと思います。ただ、この作品を見ていて、結局ロシア(当時のソ連)とアメリカの競争の果てに、広島と長崎はアメリカの実験台にされた感が否めず、なんとも言えない気持ちになりました。原爆投下成功を喜ぶアメリカ人、政治家たち。被害を何も知らされないし、当事者意識のない大衆ですが、私も日本人でなければこうだったのかな、など、人間の愚かさについて色々思案した場面でまもありました。

映画においては、広島・長崎の被害はオッペンハイマーの予想を遥かに超える酷いものだったようです。広島・長崎の被害があったからこそ、地球を破壊するレベルの核兵器をもつことで世界のパワーバランスが保たれているというオッペンハイマーが目指した平和が欧米列強の間に2022年2月まで保たれていたのは皮肉な話に思われます。

原爆と聞くと、負の感情が先に立つのはきっと日本人だからなのでしょう。ただこの映画は核兵器を開発したおじさんの話です。オッペンハイマーの平和への願い、核兵器が使用される将来への不安などを、世界情勢が不安定な今だからこそ公開されたのかもしれません。もう少し核兵器の被害について事細かに描いてくれた方が、オッペンハイマーの後悔も際立ったでしょうが、楽観的な欧米人には十分なプロパガンダかなぁ、なんて思ったりもしました。

日本で公開したら、一定数の日本人は描かせている当時のアメリカへのムカつきは隠せないでしょうし、物議を醸す内容でしょう。でも、何度も書いたように、アメリカ人の一科学者の人生の中に核兵器の開発があった、というのが大まかなストーリーなので、日本でも公開して良いんじゃないか、と思いました。そんなに沢山の動員は見込めないでしょうが、映画を観る観ないの選択をするのは自由ですし。

オッペンハイマーアメリカ人のおじさんの人生の中に原爆実験成功があったという話なので、今回の日本での映画公開に踏み切れないのは、ワーナー・ブラザースの公式が「バーベンハイマー」などと馬鹿げた宣伝をした風評被害を受けているとしか思えません。広島・長崎の人間じゃないので、こんなことが言えるのかもしれませんが、オッペンハイマーは作品としては悪くありませんでした。もちろん、複雑な気持ちで鑑賞しましたが。

今回は別に日本の被害の話なんて映画の中ではちょっとしたエッセンスでしかありませんでした。もうちょっと欧米人に被害を見せても良いだろうに。ただ、こっちの人たちにはあの事実を受け止めるだけの度量がある人がどれほどいるでしょう?それに、ナチスのように白人が白人(ユダヤ人)を迫害していたわけでもないので、共感してもらえなさそう、というのも正直な感想です。あとは、マンハッタン計画のあとのアメリカの土壌汚染についても、もっと知られても良い事実でしょうね。オッペンハイマーが主導したマンハッタン計画の裏には、アメリカに住む人たちが払った犠牲も大きいのですから。

不可視の被ばく者たち アメリカ国内の核被害と「語り」の抑圧――『なぜ原爆が悪ではないのか アメリカの核意識』(岩波書店)/宮本ゆき(著者) - SYNODOS

オッペンハイマーの鑑賞後、どんよりした空気を纏っていたのは私だけで、白人のみなさんは意気揚々と帰路についていたので、核兵器の使用をチラつかせる国があるにも関わらず、当事者意識がある人はほとんどいなさそうだなぁ、など思いながら周りの人たちを観察しておりました。私は長崎の原爆資料館に一度お邪魔したのですが、今度はドエムッシュを連れて一度広島にも行こうと思いました。靖国神社にも参拝しないといけませんね。

最後は話が逸れてしまいましたが、『オッペンハイマー』を観ながら色々なことを考えた3時間でありました。オッペンハイマー(とその仲間たち)が核兵器を実現してから今年で78年、国が変わると歴史観も変わりますが、核兵器を使ったら、土壌汚染は何世代にも渡りますし、健康被害が出る事実に変わりはありません。これからも核兵器を使わなくてもいい世界が続くことを願いながら、今回のブログとさせていただきます。