すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

ルソーが青年期を過ごしたお家

ルソーと言えば、哲学者、フランス革命に大活躍でフランスの歴史には欠かせない偉人です。

Chambéry(シャンベリー)という地域に、ジャン・ジャック・ルソーが一時期愛人として暮らしていたお家があります。今回はそこに行ってきました。ルソーはスイスで生まれましたが、すぐにお母さまが亡くなり、親の愛を知ることなく大きくなったんですよね。心の拠り所のない人生前半、思春期から青年期を過ごした場所がここにありました。

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マダムウォーレンのお屋敷に居候していたルソー。お屋敷はそれほど大きくありませんでした。こちら、入館料無料、音声ガイド5ユーロ(約650円)です。
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↑お食事の部屋です。

だまし絵がとても印象的。電気がない時代、きっと蝋燭に照らされてお食事していたのでしょうね。思いの外テーブルが小さかったのですが、家具や調度品は別のものだったかもしれませんね。
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↑音楽のお部屋です。

有名なものだと、ルソーは「むすんでひらいて」の曲を作っていますが、ここではウォーレン夫人の庇護下で生活も安定し、さまざまな物事へ見識を広め、音楽にも造詣が深かったようです。一つの物事を長く続けるのが苦手だったように見受けられますが、音楽の家庭教師をするなど、ここら辺の地域では多方面で活躍する美男子だった模様です。

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↑ルソーの寝室

周りの人に恵まれなかった幼少期ですが、読書や知的好奇心を満たすことが好きだったそうで、寝室には机がありました。壁紙は手描きでとても素敵です。クリスチャンだったこともあるのか、ベッドの横の壁にはキリストの絵が描かれていました。部屋の上の小さい窓はお手伝いさんのお部屋だったようです。もう少し待遇良くてもいいのに。
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↑マダムウォーレンの寝室

壁紙はインド調だそうですが、私にはそうは見えませんでした。ウォーレン夫人はルソーより一回り以上年上で、母親のように接していたそうですが、ルソーはいつの間にか母親のように慕っていた女性の愛人としてここで暮らしていたのでした。そのうちウォーレン夫人に新しい若い愛人ができたことでここをルソーは去るのですが…。ウォーレン夫人もなかなかの色ボケですね。

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ルソーは美男子でしたが、結構精神的にも身体的にも虚弱で、雄大な自然の中にしばし居場所を見つけたようでした。ルソーも眺めたであろうお庭と山です。

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ここでの暮らしの後、パリに渡り、イギリスに行き、またここら辺に戻ってくるのですが、その間子どもを育てられないのに作るだけ作って孤児院に入れたり(その時代には珍しくなかったけれど)仕事を転々として家族に迷惑をかけたり、個人的には絶対に結婚できないタイプの男性だったようですね。財布と下半身は緩かったようです。天才とバカは紙一重と言いますが、偉人と呼ばれるルソーも例に漏れず、天才とバカとクズがいっしょくたになったようなそんな人間を垣間見ることができた場所でした。