すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

母の新生活始まる

私たちは両親からの要望で、大学院は最近タイムズ日本版の大学ランキングで第一位を連続でいただいている某旧帝大へと進学しました。ドラミちゃん修士博士課程を5年で修了すべく研究を継続中です。

母の要望通りの進路に進んだ我々姉妹。私がフランスで仕事を見つけ(現在失業中だけど)、ドラミちゃんの英語で書いた論文は有名な国際ジャーナルに採択されました。そんな娘たちの進路に嫉妬を始める母。母は我々が某旧帝大に行ったまでは良かったのですが、自分の出た大学よりもランクが高いので娘たちの経歴が気に入る訳がありません。。そして、母は公務員で管理職までやっていたのですが、父や私たちの職種とは若干異なり、どうやら母にとっては我々の仕事の方が地位が高いと思ったようで、数年前から娘たちに大きなコンプレックスを抱き始めていました。

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そこから約2年、毎週末自分の専門分野関係なく応募しまくり、見境なく100以上の履歴書を送りまくった母。うち面接に辿り着けたのは3つでしたが、今年に入ってすぐ採用が決まりました。

就活がうまく行っていなかった時期は、ドラミちゃんを意識した質問をしまくり、ドラミちゃんに面倒くさがられていました。同居のおばあちゃまにはモラルハラスメント、父をが馬鹿扱い、母の妹の叔母の仕事を見下し、母方のおじいちゃんは必要以上にボケ老人扱い、母方のおばあちゃんは専業主婦だから能力がない、と本当に周りを下げまくっていました。

採用が決まってからは、今度は周りを馬鹿にし始めた母。母を何度も推薦をしてくれた知り合いの方のことを「あの人は私と違って研究の実績がないから。ママは論文5本だから」と見下す始末です。

(母の場合、論文と呼べるものは1本で、残りは報告書です。しかし、修士でかなり指導教官に絞られた私から見ると、母の論文は引用が雑でグラフもちゃんと示せていません。さらにドヤ顔をしていますが掲載雑誌は有名ではありません。加えて、母は論文とレポートの違いが分からないので、母が書いたものは全て母の中では論文換算となります。)

10年以上研究をしておらず、論文が5本とほぼ嘘ハッタリを並べて履歴書を書いた母ですが、それでも県外に就職先を見つけられました。正直、我々はおそらくこれだと無理だろうと思っており、母の八つ当たりが一生続くと思っていたので、家族一同とても安心しております。それに、母が家から出ることで、父とおばあちゃまには安寧が約束され、ドラミちゃんもやっとのびのび帰省できるようになるのです。

これからしばらく我が家のブログは、母の就活中のクソムーブが中心となるでしょうが、父、おばあちゃま、ドラミちゃんの気持ちをこちらで供養したいと思います。