すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

隔離に困らない間取りゆえに

ドラミちゃんがひな祭り帰省中、母が突然「コロナになった!」と騒いで自主隔離をしたある日のことです。母の病気は突然、何の診断もナシにやってきます。

季節柄、花粉の多い季節ですから、花粉症持ちは咳もくしゃみも涙も出ます。母も花粉症もちで、軽く咳が出たようですが、母の職場の相次ぐ武漢肺炎(COVID-19)の感染の流行に乗りたかったのか、勝手に「コロナになったんだ!」と言い張っていたのでした。

勇み足で自分の部屋への向かう母。我が家は10LDKを8LDKにリフォームして、部屋数が2つほど減りましたが、現在は最大4人しか一つ屋根の下にいないため、隔離には困らない間取りとなっています。母には2階に書斎と寝室が別々にあるため、とりあえず自分の書斎のカーペットの上にぐったりと横たわっていたらしいです。

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誰かが心配してくれるという確信のもと、部屋に引きこもった母ですが、30年もの月日を過ごした家族には、母が適当なことを言って部屋に引きこもっているのはお見通しだったようです。

それに、コロナという感染症の名前を借りたのが母の戦略ミス。おちおち部屋から出てこられない理由になったかのように思われました。

しかし、誰も様子を見にこない状況に痺れを切らし、思うように熱が上がってくれない体調にブチギレた母は、ついに早足で階段を降りて家族がいる台所や居間を巡回し、いかに自分の具合が悪いかについて語ったのだそうです。すると父が、「そんなに具合悪いなら部屋に居ればいいじゃん」と母に言ったため、半ばキレるように自分の書斎へ行ってまたぐったりと寝ていたそうです。

どんなにおばあちゃま手作りの美味しい料理を目にしても「多くて食べられません」の一点張りでしたが、お腹が空いた夕食はチーズインハンバーグを完食したそうです。本当の病人じゃないのを知っているので、誰もお腹に優しいものを作らなかったのです。ただ母が「白米は食べられないからお茶漬けにして」と父にリクエスト、すると父は味噌汁に米を入れてねこまんまのようにして母にご飯を提供したとか。すると大人しく母はご飯を完食したそうです。やはり病人扱いしてもらうと落ち着く模様です。

母の様子を逐一ドラミちゃんから聞いていたので、母が何食わぬ顔で家族LINEに自分の体調について書いたときに「PCR検査受けなよ」と書きました。本当は元気で陰性に違いないし、どうせ検査なんて鼻から受ける気もないのですから、とりあえず「これといった症状もなくてコロナって言うのはおかしいし、家族に態度悪いのもよくないよ」ということを伝えました。

どうやら、平熱が35度台の母は、寝起きで体温が高い時に熱を測り36.3度の数字を見て「やっぱり熱上がったよ!ママ平熱35度台だから、36.3度は普通の人の37度台だよ!」などと意味のわからない論理をほざき、何とか病人になろうと必死だったようです。しかし、「思ったより熱上がらなくてよかったじゃん」とドラミちゃんにコメントされて、ドラミちゃんにもキレたそうです。

自分で「コロナ宣言」をして、引くに引けなくなった母は、自分の部屋(隔離部屋)から出ることが出来なくなりました。しかし、引きこもりの理由は、いつのまにか「パパはママが下の階に行くのを嫌がる」という、父のせいになっていたのです。父もびっくり、こんなに尽くしているのに結局母の都合のいいように世の中は作り替えられてしまうのでした。

私が武漢肺炎ウイルスなら母には寄り付きませんね。

さて、妹のドラミちゃんも母に散々振り回されて疲弊していました。さらに母に帰省しろと言われたにも関わらず、色々身の回りの世話をさせられて限界が来ていたのでしょう。私のLINEに続いて「もっと家族の気持ちを考えてほしい」との旨のメッセージを投下しました。

すると母からこんな返信が来ました。

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誰かこれを日本語に翻訳願います。

そして、母はその5分後LINEグループを抜けたのでした。その後の母の様子は想像に難くありません。きっと悲劇のヒロインとして、書斎に君臨しているにちがいありませんから。

母がバセドー病を発症したときは、母は病気の発覚が怖くて病院に行けず、おばあちゃまに病院まで連れて行かれていました。本来は病気になると診察されるのが怖い人間なので、まぁ、今回は元気で間違いないでしょうね。コロナ宣言(自称)のあとも、何事もなかったかのように仕事に行ってますからね。

全て母が蒔いた種ですが、母が部屋にいないといけない理由は父親が嫌がるからだし、LINEを抜けたのは娘たちにいじめられたから、と脳内変換がされているはずです。母は勢いでLINEグループを抜けたことをおそらく後悔しているでしょうが、私は家族ラインに招待する気はありません。

やはり家と同様、隔離のための距離というのは精神衛生を良好に保つために必要なものなのでしょうね。