すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

髪を短くするタイミング

フランスにくると結構な日本人が美容難民になると思われますが、それは美容に少しでも関心のある人の話です。

私の母ならおそらく難民にならずに済むでしょう。なぜなら、「何もしなくても私は美しい」と思っているから。そんな母、顔には若者向けのクリーム、髪は洗いざらしです。

もうそろそろ還暦を迎える母ですが、使っている化粧品は若者向けラインです。なぜなら「アンチエイジングなんてしなくても私は若い。私には必要ない」と思っているから。

母はよく「昔から変わらないねー」と言われるのですが、本当に自分は昔のままだと思っています。「(歳の割に)若いね」「(歳の割に)変わらないね」というカッコの部分を全く無視しているので人生ハッピーです。

そんな母への唯一の刺激は、私と妹の娘2人。特に最近は料理でも何でも私の真似なのでは…?!というような行動が見られますが、そのうちの1つ、ヘアドネーションについて、今回はご紹介します。

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事の発端は、私が二十歳を迎えた時に、「二十歳の献血」ならぬ「二十歳の献髪」をした時でした。看護師を目指している人たちが、病気で髪を失った人のためにカツラを作るために、ヘアドネーションをしているのをたまたまテレビで見たのがきっかけでした。高校を卒業して、浪人を終えて、長く伸びてしまった髪をただ切るのはもったいないと思っていた時、ヘアドネーションの存在を知り、これだ!と、思い切って短く切ってしまいました。その頃はまだヘアドネーションの認知度も低く、母は私がヘアドネーションをしたことにえらく感激をしたようで、階段に座りながら「あなたが優しい子に育ってママは嬉しい」としばらく泣いていました。

その後、母が張り切ったようにそれまで肩まで伸ばしては切っていた髪を、腰まで伸ばす兆候が現れ始めました。リンスは完全に流さずに髪はベタベタ、ブラッシングもしないから毛先が絡まって鳥の巣のようになっている母。「髪切れば?」とドラミちゃんにアドバイスされた時に「ママ、髪をあげたいんだっ!」という返事。髪も1人で綺麗に洗えない、ブラッシングもできない、髪も結えない、という三重苦の母を見かねた父が、この全ての世話を請け負うことになりました。他力本願なヘアドネーションの幕開けです。

3年がかりで髪を伸ばした母は、31cm髪の毛を切ったらこけしの様になってしまいました。それでも、周りからバッサリ髪を切ったことについて言及されると、張り切ってヘアドネーションについて説明していました。「髪は染めない」「手入れはしっかりする」などなどドヤ顔で声を張り上げている母、全てを知っている私は複雑な思いでした。白髪染めはしていないことになり、美容知識がない父の3年間の手入れの苦労は無視、しかもヘアドネーションに母の髪の毛を送付したのはドラミちゃん。母は「髪を伸ばしただけ」です。心意気は大切だし、素晴らしいと思います。が、自分で髪を伸ばすと決めたのに、髪が引っかかったり、邪魔だったりすると母の機嫌はみるみる悪くなるので、父やドラミちゃんがヘアアレンジをする日々。髪を伸ばしておいて、髪が邪魔だと家族に八つ当たりする母を見て、一人でできないならやめちまえ、と心の中で悪態をつく私(でも怖くて直接言えない)。

自分一人で目標達成のための努力を放棄した母、父は毎晩「もう二度とやりたいなんて言いませんように!」と1番星にお願いしていました。しかし、父の日々の行いが悪かったのでしょう、折り悪く、私が二度目のヘアドネーションをしました。案の定、母は「またヘアドネーションをする!」と言い始めたのです。そしてまた父による母の介護が始まりました。帰省のたびに、朝から死にそうな顔をして母の髪の手入れをしていた父。これがまた3年くらい続くのですから。母のいうことに「ダメ」と基本的に言えない父なので、母のプロジェクトは父のプロジェクトになります。

最近、「髪が伸びました!」と母親が指先を丸めてピースしている渾身のブリッ子をしている写真が父から送られてきました。どうやら還暦の誕生日に髪を切って送る計画らしいです。私が19歳の時に着てきた水玉のワンピースの上に、還暦間近の、上目遣いでピースして、ガチなぶりっ子(だと母が思っている表情)をしている年相応の女性の顔が乗っかっている写真。心の中で「うわぁ」と思ったのですが、写真を無視するわけにもいかず、空元気なスタンプを送っておきました。

おばあちゃまや父親も内心、そろそろボブやショートにしたらどうかと思っているそうです。綺麗に手入れができるなら、長さなど問題ではないのでしょうが、やはり髪を短くするタイミングも大事なのかな、と思う今日この頃です。