すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

家族紹介 〜父親〜 その2

実家はカカア天下ですが、母は本当に大切なことに関しては責任を取りたくないので、子どもの進路決定などは父親に一任しています。ただし進路や就職などは子どもの話を聞いた試しがありません。生活費は母親、学費等は父親の分担です。子どもに言うことを聞かせるために経済制裁を使ってくる父親なので、下手に逆らえないのが何とも悲しいところ。金か自立か。私は迷わずお金を選びます。ドエムッシュと付き合い始めて、父親がまだ気に入らなかった時期がありました。今ではすっかり仲良しですが、ドエムッシュが日本での留学を終えてフランスに帰国する際に私のアパートに荷物を置いていきました。その時も家賃を一部負担しろだのほざいてきたの、一生忘れねーからな!それはいいとして、私はそれに関しては反抗して何とか支払いは免れました。でも成功したのはその一回だけです。

実際に充実した教育を受けさせてもらって、感謝はしている、と言うことを前提に、父親を血祭りにあげていきたいと思います。

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進路決定も中々横暴です。自分は国立大学出身だから、と娘達にも東京有名私立などもってのほか、地方国立大学のみを選択肢として出してきました。元々宝塚音楽学校志望だった私はもちろん、進学に関する経済的支援を全く打ち切りです。結局すべて東日本大震災でパーでしたが。東日本大震災の時も、笑顔で「受験で恥ずかしい思いをしないで済んで良かったね」と言われ、歯を全部抜いてやろうかと思いましたが、理系が全く駄目だったので歯学部にも引っかからず、残念ながら未だに父親の歯は生えそろっています。外部の人と会う時以外歯を磨かないので、遅かれ早かれ、私が手を下さなくても歯は抜け落ちると思います。天誅

「優秀な子どもを育てる」という親の下、高校卒業時は就職氷河期で、すぐに就職とも行かず、最低大卒を求められていました。大学に行けば文句ないんでしょ!と、母に家を出される形で実家から離れた予備校に行くことになりました。結局数学がまったくダメで旧帝大は叶いませんでしたが、実家から離れた地方国立大に運良く引っかかり、そこで留学など色々と経験させてもらいました。ちなみに、何を優秀とするかにもよりますが、親の期待に2割くらい沿う平凡な人間に育ちました。

大学4年生になった4月1日、大学卒業後は他大学の大学院に進学予定でした。しかし、翌年1月に受験なので、余裕をかましていたら、突然「教員採用試験を受験しなさい、さもなくば、大学院の進学は認めないし、学費も払わない」とのお達しが父からありました。どうやら母親が教採を受けないと講師登録できないというデタラメを吹き込み、それを信じ込んだ父親は院試に落ちたら教員になれと言ってくるのでした。院試で不合格だった場合、研究生として大学院の研究室に在籍する人がほとんどです。私は色々と研究生について、講師についての説明を試みましたが、父親は笑顔でスルー。皆さん前年の10月とかから対策して、翌年7月の試験に備えます。6月には3週間の教育実習。勉強できるのなんてせいぜい2ヶ月です。一応一次試験は合格しましたが、二次の面接では大学院か教師かのどちらかを選べという質問に「教員です」とニッコリ答えたのですが、嘘を見抜かれあえなく不合格。第一志望の大学院に無事合格できたので、結果オーライです。

あの時は血圧が200/150を一時期超えるほど高くなりました。受験するからには落ちたくないしけど、実習、教採、教採、実習、受験という時間が24時間じゃ足りない…という状況で、「いっそこのまま受験前に…」と思い、病院にも行かなかったのですが、若いが故逝くことも出来ず、全ての受験が終わってから血圧は自然と115/75くらいに落ち着きました。ストレスは溜めないようにしましょう。

父から、教員採用試験受験の説得の際に、ミスターチルドレンの『未来』を流しながら今後の人生について語られ、「いま貴方の状態はここ」「先の知れた未来はいずれやってくる」などクドクドクドクド説明されたので、ちょっとミスターチルドレンがトラウマになってしまいました。いい歌詞、いい曲なんですけどね。

そんな父は自分にもストイックかと言われるとそうでもありません。極度のクチャラーで、テーブルの上に足を置くのが癖だったりと不潔な言動が目立ちます。こんな思いをさせられてるんだから、少しくらい、と思い、チクリと父親の不潔な態度について言及すると、ガラスのハートは粉々に砕け散り、アハハ、と力なく笑い、こちらは全く悪いことをしてないのに、罪悪感に苛まれてしまいます。本当、人にキツく当たるなら、それ相応の覚悟というものをもっておいてもらいたいものです。