すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

語学学校9日目

語学学校9日目です。初日に試験をして、5月の半ばに中間試験、6月に最終試験があるというアナウンスがありました。

今日は今日とて、過去形2種類に苦戦、語彙がわかれば意味がつかめるようになるのでしょうが、ボキャ貧なので日々辞書を引いています。

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アプリはこちらを購入です。フランス語の活用が出来ないと詰むので、ひたすら見て覚えます。こちらゲーム感覚で練習もできるので、まぁ悪くないかな、と思いダウンロードしました。

英語だとbe動詞の現在形は am / are / is の3つですが、フランス語は6つあります。

Je suis / Tu es / Il, Elle est / Nous sommes / Vous êtes/ Ils, Elles sont 

一般動詞の現在形なんて、英語は do does の2種類の変化しかありませんが、フランス語は6つ。

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毎回頭の中でクルクル考えながら、覚えてなければこのアプリを参照しつつ問題を解くとなると、時間がかかります。

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朝ごはんを食べてもお腹が空くのでバナナ等のおやつで糖分補給をしつつ授業を受けます。最低限の英語と、95%フランス語の授業。最初は不安でしたが、フランス語を話すときはクラスメイトは我慢強く聞いてくれるし、私も我慢強く聞くし、失敗を恐れずに話せる環境があり、まだまだカタコトで語彙もないけれど、何となくフランス語が上手になってきた気がする…そんな9日目です。

語学学校7日目

語学学校に通い始めて7日目、先生たちが話している内容は7割方理解できる(先生たちは分かりやすく話すのが上手)し、知り合いのようなライトな友達もできて楽しく通学中です。

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過去形の勉強中なのですが、フランス語の過去の概念は日本語にはないものが多く、英語の現在完了をさらに細かく分類して文法を変えました、のような感じで涙目です。男性名詞、女性名詞、単数、複数によっても語尾が変わる場合もあるし、動詞はもちろん変わるし、覚えることが沢山で、週末を終えてからもだいぶ消化不良気味です。

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少しずつ掴めてきましたが、やはり30歳にもなると昔のように単語をパッと見ただけで覚えられなくなり、ノートを参照しながら問題を解きましたがこの出来で絶望しています。

私だけじゃなくて、ウクライナ人も間違いまくっているようなので1人じゃない…しかし7人中5人は舌打ちがうるさくて、答え合わせの際は舌打ちの音があちこちから聞こえてきて気が狂いそうになることもしばしば。

5月末には義両親がくるので今よりマシになっているとは思いますが…先が思いやられる月曜日です。

語学学校4日目

2月までは2週間空いたりしながらもなんとか勉強を続けられていましたが、クラス分けのテストを受けてから、4月にはフランス語の教室に通わせてあげる!と言われてからの1ヶ月半は全く勉強せず暮らしていたので、勉強の内容がかなりあやふやになっていました。

語学学校は結局フランス語のレベルはA1もA2 もB1も混ぜこぜで、クラス分けテストの意味はなかったようです。老人みたいなことを言うようですが、外に出る理由ができて生活にハリが出て、学校という勉強をする場所を与えられたことでフランス語を勉強するモチベーションもグッと上がりました。

今日も違う先生でした。4人の先生が交代で教えてくれるようで、今日は複合過去(passé composé) をやるよ!と言われ焦った午前中。

クラスメイトはウクライナ人7人、カーボベルデ人1人、ルーマニア人1人、アルジェリア人1人と私の11人(最大10人なんだけど…)です。お昼休みは1時間。ムスリムの方は現在ラマダーンで断食をしており、家が近い人は帰宅してご飯、お弁当を持ってこない人は外食、ウクライナ人はウクライナ人で食べるので、ぼっち飯です。

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午前中焦ったので、お昼休みに急いで今日やると言われた複合過去をまとめましたが、様々なレベルの人がいるので、ガッツリ文法をやるまでに至りませんでした。でも金曜日に詳しく扱うようなので、心の準備ができました。

フランス語は全員おぼつかないのですが、1個下のウクライナ人の超超超美人の友人ができて大満足。透明感が半端ないです。エンジニアで英語も上手ですがあえて2人でとつとつとフランス語で話しています。(ウクライナ人だけ優先されてるのずるい!と思っていましたが、こんなに美人なら国籍関係なく優先です、はい。となりました。)

美人な友達ってだけでモチベーションが上がるので、この2ヶ月頑張ればフランス語がちょっと上手になる…気がします。

突然語学学校が始まりました

水曜日に突然電話が来て「今週金曜日から語学学校始めますが、興味ありますか?」とのことでした。私の住んでいる地域の教室は既に埋まっていて、カンヌまで行かないといけないとのことでしたが、了承しました。

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とりあえず電車のチケットを買ってカンヌまで。そこからバスでも歩きでも到着時間が同じなので、歩くことにしました。

時間が過ぎても始まらず、この日集まる予定の9人のうち4人しか定刻におらず、先生の準備不足もあり…と90分遅れて開始です。とりあえず全員のレベルを見るためのテストがありました。今まで2回テストを受けてきましたが、それ以上に細かく問題が設定されています。しかも選択式ではなく書く方式。スペルが不安すぎましたが、解いた感じだと、A2のスペルは微妙ですが、読解諸々含めるとB1にかかるレベルくらいはあるかな…という体感でした。B2には遠く及ばず。

午後はスピーキングのテストと練習問題で終わりです。今回はひたすら待ち時間が長かったです。9人クラスのうち5人しか集まらず、午後から新しい人が呼ばれて6人になりました。6人のうち3人はウクライナ人(優先順位が高い)で、カーボベルデ人1人とルーマニア人1人と私です。カーボベルデ人の女の子が19歳とダントツで若く、ウクライナの方々は51歳、46歳、36歳、ルーマニア人の方は27歳で6歳と3歳の子持ち(!)でした。みなさん結構落ち着いていて、ギスギスした雰囲気なく、うるさくもなく、2ヶ月平和に頑張れそうな気がしました。

あまりに突然始まった語学学校ですが、少しでも上達できるようにがんばります!!

母がいないと家の中は回らない?!

母は無趣味(趣味は自分)で、仕事をしている時が一番楽しそうに見えます。パートのお母さんたちも多い中、我が家はおばあちゃまと完全同居だったため両親は共働きです。おばあちゃまは、母ほどではありませんが見栄っ張りですが、母をいびらないし(むしろおばあちゃまをいびるのは母)お姑ガチャやくじの景品に例えるならば、ティッシュではなく三等くらいの当たりなのでは、とよくドラミちゃんと話しています。

家事は87歳のおばあちゃまが元気にバリバリこなしておます。母は「おばあちゃんの介護はしませんから!」と単身赴任前に宣言しました。

…よく「同居の姑の介護も忙しい」とか言ってたはずなのですが…

そして、自分の面倒は自分で見るしかない!と思ったおばあちゃまは、昔から続けている舞踊に加えて、ジムにも通い始め、数十年前よりもパワフルです。

おばあちゃまが家事を一手に引き受けているし、手先が異常に不器用な母はポニーテールすら結えないため、毎朝父がヘアセットをしています。私たちが小さい時もヘアセットは父親の仕事でしたが現在は母の専属美容師です。そんな父の朝は5時半から始まります。5時半に起きて、家の隣の畑に水やり、そして朝ごはんの支度(スープと卵料理)、そのあと母の車を車庫から出して、ゴミの日にはおばあちゃまと手分けしてゴミを捨て、7時に母を見送る、というのが父のルーティンです。

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自分の仕事の支度をして、準備されたご飯を食べて、洗濯機のスイッチを押すというのが母の仕事なのですが、母は自分がいなくなった後の生活を大変心配していました。

ドラミちゃんも私もこの事実を知っているわけですが、何を考えたのか、ドラミちゃんが帰省したタイミングで、みんなの目の前で父に「自分のことは自分でお世話しないとね。ママこれからいなくなるんだから、ね、パパ!」と言う母。ドラミちゃんはビックリしすぎて喉から「…ゥ」という言葉を捻り出すのが精一杯で、父は母の発言に目を白黒、耳の遠いおばあちゃまには幸い聞こえていなかったそうです。

しかし、朝ごはんやら車の車庫出しやらゴミ捨て風呂掃除を父にやらせ、母がスイッチを押した洗濯機が洗濯を終えるとベランダに服を干しに行くのはおばあちゃま、8LDKの家の掃除もおばあちゃまで、母は気が向いたらトイレ掃除をする(けれどトイレは臭い)くらいなのに、どうやら母の脳内では家事は全部自分がやっていることになっていたようです。

現在1Kのアパートに引っ越した母。どちらかと言うと我が家が母の生活を心配していることを本人は知る由もないのでした。。

挨拶回りに行く基準

今回は妹のドラミちゃんが体を張って仕入れてきた情報です。

母が単身赴任先に行くにあたり、さまざま人のところに挨拶回りをしていました。母は書道と花道の師範代をもっているのですが、お世話になったお花の先生には挨拶に行かない模様。お花の先生は母方の祖母の友人でもあり、元大病院長の奥様でもあります。元病院長は父の恩師で、お花の先生と病院長が2人の結婚をセッティング(私達姉妹はこれをパワハラ婚と呼んでいる)しました。

お見合いの時にお互い履歴書を書いて、お花の先生夫婦のチェックが入ります。父は一発合格、母は不合格でした。何が問題だったかというと、母の勝ち気で見栄っ張りな性格が全面に出た履歴書だったからです。お見合いの履歴書に、卒業論文のタイトルや学会発表について書いていたため、さすがにそれは消しなさい、とお花先生に言われてしまった母。

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一般論を言うと、必要以上に経歴を細かく書きすぎると、プライドの高い奴、地雷認定をされるので、最低限の学歴を書くだけで良いはずです。こんなのを書いたら敬遠されるのが関の山。しかし、このお花先生の意図は、母によって曲解されてしまうのでした。

「まぁ、ママはこうやってキャリアもそれなりにあるけど、お花先生はママが仕事をバリバリしているのは気に入らないみたいなんだよね。だから、履歴書の学会発表の欄も消せって言われたし、女のママがキャリアウーマンとして県外で働くことにいい顔はされないから、挨拶に行かない」と言い、最近まで毎年挨拶に行っていたお花先生をスキップして単身赴任へと向かったのでした。

精神科医フロイト先生の理論でいくと、これは投影というものではないかと私は分析します。おそらく娘たちのキャリアアップを心底喜べない母が、お花先生に母の本当の姿を投影したのではないか、と。

しかしそれにしても、母が学会発表を書いて結婚の話がおじゃんになった方が良かったのでは、と思ったりもします。父は明るい陰キャ(私も)で一生独身だったかもしれませんが、私もドラミちゃんも悩みを抱えることは無かったのではないか、と思うのです。その話はさておき、母は自分を手放しに褒めてくれる人のところへと挨拶回りをし、結局本当に大事にした方がいい人たちへはびっしり字の書かれた葉書で挨拶をしただけとなったのでした。

3月のスキー南仏編3日目

宿泊先は10時にチェックアウトとのことで、荷物を観光案内所に置きに行ったり、スキーレンタルに靴を預かってもらったりと、結局ギリギリにチェックアウト、そのあとスキーを始めました。

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この日は生憎曇り空で、午後からは雪が降り始めました。ドエムッシュもだいぶ慣れて来たので、この日は座るリフトでとりあえず上の方まで行って、リフトを背に右折して緑から青のコース、そしてもう一度同じリフトで上まで行って、左折して青のコースだけを滑りウォーミングアップをしました。しかし、3日目は疲れが溜まっていたのか、転びまくるドエムッシュ。心が折れそうになっていましたが、リフトの1日券も買ったので、だましだまし頑張らせます。

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10時にスタートして、11時に前日の夜にラクレットを食べたお店でココアを飲み、その後、足に挟むタイプのリフトで上までのぼり、2回滑ったところで早めのお昼ご飯を食べることにしました。場所によってはお昼にお客さんが沢山来て混んでしまうので、注文したものを間違えられず、かつ、パッと持って来てもらうためには早めに行くのが得策です。

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この日はそれぞれ好きなものを注文です。もちろん私は牛のタルタル。ラクレットやフォンデュは2人からの注文になっているため、ここに来て初の牛のタルタルです。

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ドエムッシュは、ポレンタというマッシュポテトのとうもろこしバージョンのようなものと、牛肉のステーキとシチューの間のようなものを注文です。

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それから、もう一度山の上までゴンドラで登り、山の反対側の斜面を滑ることにしました。こちら、かなり長く、滑っても滑ってもリフトが見えません。途中何度も転ぶドエムッシュでしたが、たまに調子がいい時はスイスイ滑れていました。私やドラミちゃんなら、20分もあれば下まで着いていたでしょうが、途中で起き上がれなくなり、休憩を挟みつつ40分で下山。そのあとは、観光案内所のある元いた場所に戻るため、再び頂上まで行って下山です。この日はいつもと違うコースを使いたかったため、途中まで滑って、他の頂上まで行けるリフトに乗りました。

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リフトを降りる時ドエムッシュがリフトのガードにスキーをあげたままでした。ガードを外そうとした私は注意をしましたが、何が何やらわかっていないドエムッシュ。私がキレてパニックのドエムッシュ。ガードを外そうとしていた私は、スティックに足が巻き込まれ、かなり痛く、ふくらはぎの骨が折れたか!と覚悟しました。あー折れる!となったその時リフトを止めてくれたおじさんのおかげで事なきを得ましたが、その後はドエムッシュにはキレっぱなしです。「ドウスレバユルス?」と聞いて来たドエムッシュ。罰として途中赤のコースを滑ってもらうことにしました。

赤いコースという響きで、斜面でも何でもない場所でコケたドエムッシュでしたが、何とか下まで滑り降りました。しかし、観光案内所のある斜面よりも下まで来てしまったため、最後の一滑りとして、もう一度、朝使ったリフトで上まで行って、降りて来ました。

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まずはスキーを返却して、冬用の靴に履き替え、再びお茶に行きました。(私は今年上のジャケットだけは暖かいものを買いました。)バスに乗る前なので、変に色々飲み食いしたらまたヤバいかも、と思った私はとりあえずレモネードだけ頼みました。ドエムッシュはワッフルとコーラです。

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前日にお土産を購入していたのですが、ちょっと足りないね、ということで追加でお土産を購入です。私は『マーモットのおしっこ』というリキュールを購入しました。エルダーフラワーの爽やかな香りのお酒、私もドエムッシュも気に入ってしまいあっという間に無くなりました

それから観光案内所で荷物を受け取り、バスに乗って帰宅です。

度重なる転倒で、ボトルのキャップが壊れており、リュックの中が大変なことになっていました。ブチぎれる私、焦るドエムッシュ。バスの中でこの大惨事が発覚し、到着したバス停でお通夜モードのドエムッシュ。バスは行きよりも30分も早くバス停に到着したため、電車の予定の時間まで1時間以上残っており、とりあえず我々のムードにそぐわない素敵なカフェでお茶です。

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私の怒りは収まらず、狼狽えるドエムッシュでしたが、カフェオレを飲んで何かを取り戻したようでした。今回の食費は全部私持ちでしたが、ここだけはドエムッシュの奢りでした。

昔からスキーに行く時は、全部親が払っていたのでどのくらい費用がかかるのか知りませんでしたが、泊まりがけだと案外お金がかかることが分かりました。

リフト代が3日で保険を入れて約260ユーロ、宿泊費が280ユーロ、スキーのレンタル代が3日で約170ユーロ、レストランは夜は飲み物を入れて80ユーロほど、お昼は50ユーロ、お茶代が毎回10ユーロほどで4回お茶をしたので40ユーロ、お土産代が20ユーロほどで5世帯に買って100ユーロに、レトルトを8個持って行ってそれが一つ4ユーロで計32ユーロ、それに現地で調達した朝ごはんのパンやらお菓子やらで雑費が30ユーロほどかかりました。そこに交通費が往復55ユーロほどです。だいたいの合計が1,227ユーロです。2泊3日で約172,000円ほどでした。こうやって計算するとスキー旅行は結構お金がかかっていたんだな…と思いますね。それに、ドエムッシュは会社の最低賃金で働いていないため、なんと宿泊代は会社から40%しか負担してもらえないことがわかりました。それでも有難いのですが。。まぁでも全部込み込みだとこんなものでしょうか。去年行ったグルノーブルまで行くとなると、さらに交通費が100ユーロ以上嵩むので、これはこれで良かったのかもしれません。

色々とトラブルもありましたが、雪国育ちの私はスキーはよくしていたので、こちらでも2年連続スキーに行けて、(もう春ですが…)とても良い冬の締めくくりができました。