すみれの部屋

おら海外さ来ただ!

プライベート仕事の流儀

母には5つのモードがあり(ぶりっ子モード・自己陶酔モード・仕事モード・爬虫類フェイスモード・賢者モード)誰の話も聞かずに指示を出したり、自分のスケジュールを一方的に話している時は仕事モードなので、小学生のころから、母の仕事モードは黙ってやり過ごすのが一番だと言うことを知っていたのでした。

母にお客さんが来たとしても、電話をすると「もしもし、急ぎ?」と甲高い声で聞かれるたびに不整脈が起こるので、母に自分から電話をすることはほとんどありませんでしたし、今も個人的な電話はしません。

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仕事モードはどこまでも続きます。母はプライベートな時でも常に場を取り仕切る病(やまい)なので、レストランに行った時も早口で

「サラダ3つ、ペペロンチーノ1つ、ステーキのライス大盛り1つ、ペスカトーレ1つ」などハキハキと注文します。そんなに早く注文したところで、30秒早まるかどうかなのに、「じゃ、いいですか」などと枕詞をつけて注文を始めるときには、へりくだっている割に恐喝をしているようにしか見えず、心臓が痛くなります。実際ドラミちゃんは心臓がバクバクするたびに心臓を叩きながら母に対応しているのでした。

そんな母は外食先では、ウェイターさんとまだコミュニケーションを取れますが、我が家の食卓となると、母の独壇場です。「朝ごはんは全員で食べる」のモットーの下、朝6時45分から7時までが朝ごはんの時間です。無駄口を叩くヒマはないので、白米とハムエッグを味噌汁で胃に流し込みながら、母の予定を聞かされるのが18年以上続きました。みんなのスケジュールの把握、と母は言っていますが、話の内容は、

・母が帰ってくるまでに済ませておくこと

・母の仕事がいかに大変かということ

・母の1日の予定

を聞かされます。15分経つと、皿を下げられるので、5分でごはんを食べる特技は身につきましたが、朝ごはんを楽しく食べられるようになったのは一人暮らしを始めてからです。最近では母が出勤すると、束の間の穏やかな時間が流れますが、学生時代は遅くとも7時15分には家を出ないといけなかったので、反抗期じゃなくてもロクに家族とコミュニケーションを取れていなかったかもしれません。

仕事モードは家族だけに留まりません。久しぶりに会った同級生に声をかけられた瞬間、母はどこからともなく名刺を出して配り始めます。知り合いのギョッとした顔には目もくれず、ドヤ顔で「今、こういう感じです」と一言言って満足して「じゃ、またね!」と意気揚々と去っていく姿は一切の孤独を感じさせません。

プライベート中も常に仕事モードでいることが彼女の流儀なのでしょう。

ウクライナ侵攻で郵便が鈍行

2月末にウクライナ侵攻により、郵便が一部取り扱えなくなるとの情報が入ったので、友人の出産祝いと家族へのプレゼント(おばあちゃんや母の誕生日プレゼント、バレンタインのチョコ)などを急いで送りました。

荷物は2つ、友人へのプレゼントは2キロ弱、我が家へのプレゼントは7キロ弱です。1〜2ヶ月は見積もって、と考えていました。友人の荷物は月曜日に送ったのですが、その週の土曜日に届き一安心。友人は地元じゃかなりのお金持ちのお家なので、赤ちゃん用のお洋服も少しいいところで買ったし無事届いて良かったです。一方の我が家へのプレゼント、自然派のハンドクリームやボディクリームが入っており、単価は友人宅への方が高いのですが合計額でいったらもちろん我が家への方が高いのです。。が、これがなかなか届かない。1ヶ月以上経った今でもまだ発送待ちで本当にイライライライラします。

11月に荷物を紛失されたばかりですが、DHLなどは流石に重いものを送るとなると高すぎるので、リスクをとって郵便を使っています。一昨年は荷物の中身を抜き取られて泣き寝入り、昨年は荷物を紛失、と相次いでフランス郵便の洗礼を受けております。

本来は遅くても2週間くらいで届くので、いつ発送されるのか聞いたところ、「送ってから21日後に聞いてください」と言われました。その後再び電話をすると「40日以内に調べます」とのことでした。

ふざけるなよ

と電話口で言いそうになりますが、こちらの人は一度ヘソを曲げると二度と取り合ってくれないので、「お客さま」であっても下手に出るのが交渉のコツだとか。しかし下手にでて舐められたのか、その後全く音沙汰なしで毎日キレそうになりながら暮らしています。

何か進展があったらまた記録のためにもブログにしたためようと思います。

爪が割れるほどのストレス

先日のブログ更新からしばらく時が空いてしまいましたが、今回はドラミちゃんの爪が母のストレスによって割れるほどストレスフルなオンライン帰省となりました。

以前の記事にもある通り、母が仮病を使ってみんなから心配して欲しかったのに、思うように熱が上がらず誰からも心配されず勝手にキレて家族ライングループから退会したのでした。

隔離に困らない間取りゆえに - すみれの部屋

引くに引けない状況に母は存在をひっそりと息をひそめ、誰にもメッセージを送らず、誕生日まで家族ラインが起動することは稀になりましたが、今回の「母のお誕生会」は父がフォローすべきだと思っていたので、我々姉妹も鳴りを潜めていたのでした。母は常に1日にスタンプを30個くらい送ってくる人間なので、メッセージや沈黙が怖いのですが、母は誕生日に向けて髪を切って「ヘアドネーション」に寄付したり、予定を空けたり、と準備万端だったようです。

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待てども待てども「風見鶏」の父は何のアクションも起こさずイライラは募るばかり。母の誕生会をしなきゃしなくてもこちらは全く問題はないのですが、今回誕生日をしなければ、次回母に会った時に「ママなんてしねばよかったんでしょ」などと言ってくるに決まっています。

妹「どうする…誕生会」

私「ねぇ、どうする」

妹「え、なんで誘わなきゃダメなのさ」

私「でも後から面倒くさいよ」

妹「いつもこうだ!」

私「お姉ちゃんがやるよ」

妹「お姉ちゃん出るならまぁ、ドラミも出てもいいけどさ」

などと言うやりとりを経て母の誕生会がオンラインで開催されたのでした。

最初は「あ、今日はわざわざありがとうございます(棒読み)」と、自分の行いでどれほど娘たちに嫌われたか様子見をしていた母でしたが、我々が普通の態度を取ると決めていたので、そのうちぶりっ子キラキラモードを取り戻して、最終的には「うん!今日も楽しかったー!またネー⭐︎バイバーイ⭐︎⭐︎⭐︎」といなくなったのでした。

私が2月末に日本に荷物を送ったのですが、戦争の影響かまだフランスから母へのプレゼント(ハンドクリーム)発送されておらず、ドラミちゃんが気を回して送った花に喜び、父が母に代わって写真を送ってきたのでした。

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そんなこんなで、母の誕生日は無事に幕を下ろしましたが、後日、母がドラミちゃんのSNSを探しまくったり、ドラミちゃんにハガキを送ってみたり、ドラミちゃんの個人ラインにどうでもいいメッセージを送りまくったりした結果、ドラミちゃんの爪がストレスで縦に割れてしまったのでした。それを受けてお姉ちゃんの私は母を家族ラインに戻すことを決意したのでした。

母を戻してからはドラミちゃんも普通の日常を取り戻したようで、最近はこれといった相談もなくなりました。最近はスタンプが送られてくる日も少なくなり、スマホの電池の減りが遅くなり助かっています。

持病は…

母がついにワクチン3回目を打ちました。

かかりつけ医にあんなに止められており、職場に来ているお医者さんにも「あなたには打たないと言う選択がある」と言われたにも関わらず、「私の職場は渦中にあるんだ!」と声高に宣言しており、ワクチンを打って39度の熱が3日続いたと言っておりました。

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先日のことがありましたから、オンライン帰省もどうなることかと考えておりましたが、私から誘ったら案の定先日の母の粗相がなかったかのように決まったのでした。

詳しくはまた別のブログにしたためますが、ドラミちゃんと母の言う39度は38度だし、3日熱が出たというのも疑わしいと言う結論に達しました。

たしかに母はアレルギーが多く、武漢肺炎(Covid-19)のワクチン自体反対されていたのに打つなんて、アレルギーに加えてミュンヒハウゼン症候群もありそうなものですが、先日のブログからわかる通り、母の最大の持病は仮病なのでとりあえず話半分に聞いておくことにしています。

では、おそろしのオンライン規制についてはまた別のブログで。

カップルとは不思議な生き物です

ドラミちゃんはよくカップルとは不思議な生き物だと言うのですが、実家のカップルも例外ではありません。元々世に言う仲良しカップルなのですが、最近はどちらかというと共依存夫婦だということが判明し、大人になることで見たくなかった現実が見えてくるなら、大人になんてなりたくなかった、そんな気もするのです。

妹が高校生くらいまでは毎年年末になると母がみんなにお年玉を、父にマムシドリンクをあげていました。家族の前で堂々と渡されるものなので、その頃はまだマムシドリンクがリポDのように元気の前借りのためのドリンクだとおもっていたドラミちゃんでした。

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我が家の家訓は「ローンは作らない」ということで、台所と居間と夫婦の寝室と父の部屋という3DKの一軒家でしたが、お金が貯まるたびに増築に増築を重ねて孫が生まれる頃には10LDKになった我が家。おばあちゃまの弟が大工さんで格安で家を建ててくれましたが、建て付けが悪く築40年くらいになると床がギシギシになり始めました。「ローンは作らない」精神は今でも健在で、祖母が1階だけのリフォームを決意。2階は1階より10年くらい新しいので、とりあえず1階のものを2階に運び、さらに隣の家に引越しの準備。(隣の家は、お隣さんが引っ越すタイミングで我が家が買い取って空き家になりました。)

ドラミちゃんはその引っ越しの過程で、アルギニンやマカEXが入っている箱を見つけてしまい、おばあちゃまが「それは疲れた体によく効くんだよ」とか言ってフォローをしていたそうです。そして隣の家でリフォームが終わるまで暮らしている間にも、続々と「健康のための」サプリメントやドリンクが見つかる始末。

ドラミちゃんは友達にアルギニンやマムシドリンクの話をすると、友達から真実を打ち明けられ力なく笑っていたそう。父親はろくに歯を磨きもしなければ風呂もサッと入って終わり、母だって歯の掃除に行かずに口臭が悪化しても鼻の悪い父には全く影響がなく2人ともアツアツだったという事実にドラミちゃんは色々な感情を通り越して感心していたに違いないのです。

そんな核心に迫ることを心のうちに数年秘めていたドラミちゃん。父とドラミちゃんと私が3人でスウェーデンストックホルムを旅行していた時「そういえばパパマムシドリンクとかアルギニンとか今も飲んでるの」と突然質問をしたのでした。妙に焦る父。父は目を白黒させながら「あーのさっ、えーっと…その…うん、マムシドリンクは安いし美味しいんだよ!アルギニン安いし…よく飲んでたかなぁ、覚えてないなぁ、でも安いし、うん。」と安いの一点張りで何とか通り抜けようと愚かな回答をしていました。顔は確実におじさんですが、反応はエロ本が母親に見つかってしまった息子の反応のソレで大変味わい深いものでした。

娘にマムシドリンクやアルギニンやマカEXを見られ、父親の尊厳をこれ以上失うのが怖いのか、それとももう使う必要がないのか、リフォーム以降アルギニンやマカEXやマムシドリンクを見た人は誰もいません。

未だに自分の裸体に価値を見出しているのか、布切れ1枚か布切れ0枚でうちの中を闊歩するたらちねの母。ドラミちゃんは昔から気づいていたようですが、改めてカップルとは全くもって不思議な生き物です。

3月のスキー

フランスでは2月はスキーのシーズンで、色々な人がフランスのアルプスに集います。私も一度はやってみたいなと思っていたので、先日週末にドエムッシュとスキーに行って参りました。

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体をちょっと温めるために軽くビール1杯と、ここら辺名産のナッツのタルト。

ドエムッシュは雪道の運転に慣れていないので、今回はバスで行ってきました。Grenoble(グルノーブル)という、フィギュアスケートのフランス杯が毎年行われる地域があります。そのグルノーブルの駅から何箇所かのスキー場にバスが出ているので、スキー場近くまでのバスチケットを購入。これは10ユーロほどです。近くのバス停からスキー場まではシャトルバス(navette・ナベット)が出ており、特定のバス乗り場からは無料で行くことが出来ます。

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スキー場ではスキー靴とストックとスキーの3点セットを借りました。これで20ユーロです。

スキーウエアは、フランスでは手持ちがなかったのでスポーツ店の一番安いものを買いました。フランスのスキー場は、Suicaの要領で自動改札です。フランスのスキーウエアは、左袖の下側に小さいポケットがあり、そのポケットにリフト利用券のカードを入れて、ポケットをかざすとリフトに乗ることが出来ます。最初は自分の上着で代用しようと思っていたのですが、リフト券のことを考えると、上着を買って正解でした。

スキーは小さい頃からずっとやっていたので、7年ぶりのスキーでも一度も転ばず、幸い怪我もせずに済みましたが、矢張り安いものは少し寒かったので、日本に帰る前に「いいやつ」を買って帰ろうと思います。

身長173センチということで、日本のレディース服(特に冬物)を見つけるのは大変です。日本でスキーウエアを探すよりもフランスで探した方が選択肢が多いので、3月末にスキーのシーズンが完全に終わるので、もう少ししたらまたスポーツ店のパトロールに行きたいですね!ちなみに、平面顔の私の鼻に合うゴーグルはなく、とりあえず視界が悪いとき用に一番安いゴーグルを購入しました。ゴーグルは日本で買わないと。。

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↑フランスのリフト…

リフトは日本の昭和のリフト(椅子じゃないタイプ)でタイムスリップしたような気分になりました。ものすごい傾斜でも、200メートル上までも、これでいきます。太ももに挟むタイプなので、後半は結構きついですが、総じてとても楽しかったです。

今回のスキーの総額(大体の金額)

バス代(1日券)10ユーロ

スキーレンタル代 20ユーロ

リフト代(カードチャージ代込)18ユーロ

合計48ユーロ(1ユーロ130円として6,240円)

でした。日本でスキーをするより断然安いですね。まぁこのリフトですから。

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レストランが高いと聞いて、お弁当を持って行きましたが、外のベンチで食べて身体が冷えたので、温かいお茶を求めてレストランへ入りました。お茶は一杯3ユーロ、400円弱でした。その他にもフライドポテトもお皿一杯で650円くらいで法外な値段じゃないし、何なら観光地のクレープ1枚ペラっとしてるやつの方が高かったです。これなら最初からレストランで食べればよかったね、とドエムッシュと反省会をしたのでした。

ということで、朝の9時から15時半まで、休憩を入れて5時間半ほど、ほとんど休みなく滑りまくった1日でした。本当に怪我をしなくてよかった…。。

私とドエムッシュのスキーの様子はまた別の記事で。フランスでもスキーが経験できてとても楽しかったです。また来年もできるかな。

隔離に困らない間取りゆえに

ドラミちゃんがひな祭り帰省中、母が突然「コロナになった!」と騒いで自主隔離をしたある日のことです。母の病気は突然、何の診断もナシにやってきます。

季節柄、花粉の多い季節ですから、花粉症持ちは咳もくしゃみも涙も出ます。母も花粉症もちで、軽く咳が出たようですが、母の職場の相次ぐ武漢肺炎(COVID-19)の感染の流行に乗りたかったのか、勝手に「コロナになったんだ!」と言い張っていたのでした。

勇み足で自分の部屋への向かう母。我が家は10LDKを8LDKにリフォームして、部屋数が2つほど減りましたが、現在は最大4人しか一つ屋根の下にいないため、隔離には困らない間取りとなっています。母には2階に書斎と寝室が別々にあるため、とりあえず自分の書斎のカーペットの上にぐったりと横たわっていたらしいです。

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誰かが心配してくれるという確信のもと、部屋に引きこもった母ですが、30年もの月日を過ごした家族には、母が適当なことを言って部屋に引きこもっているのはお見通しだったようです。

それに、コロナという感染症の名前を借りたのが母の戦略ミス。おちおち部屋から出てこられない理由になったかのように思われました。

しかし、誰も様子を見にこない状況に痺れを切らし、思うように熱が上がってくれない体調にブチギレた母は、ついに早足で階段を降りて家族がいる台所や居間を巡回し、いかに自分の具合が悪いかについて語ったのだそうです。すると父が、「そんなに具合悪いなら部屋に居ればいいじゃん」と母に言ったため、半ばキレるように自分の書斎へ行ってまたぐったりと寝ていたそうです。

どんなにおばあちゃま手作りの美味しい料理を目にしても「多くて食べられません」の一点張りでしたが、お腹が空いた夕食はチーズインハンバーグを完食したそうです。本当の病人じゃないのを知っているので、誰もお腹に優しいものを作らなかったのです。ただ母が「白米は食べられないからお茶漬けにして」と父にリクエスト、すると父は味噌汁に米を入れてねこまんまのようにして母にご飯を提供したとか。すると大人しく母はご飯を完食したそうです。やはり病人扱いしてもらうと落ち着く模様です。

母の様子を逐一ドラミちゃんから聞いていたので、母が何食わぬ顔で家族LINEに自分の体調について書いたときに「PCR検査受けなよ」と書きました。本当は元気で陰性に違いないし、どうせ検査なんて鼻から受ける気もないのですから、とりあえず「これといった症状もなくてコロナって言うのはおかしいし、家族に態度悪いのもよくないよ」ということを伝えました。

どうやら、平熱が35度台の母は、寝起きで体温が高い時に熱を測り36.3度の数字を見て「やっぱり熱上がったよ!ママ平熱35度台だから、36.3度は普通の人の37度台だよ!」などと意味のわからない論理をほざき、何とか病人になろうと必死だったようです。しかし、「思ったより熱上がらなくてよかったじゃん」とドラミちゃんにコメントされて、ドラミちゃんにもキレたそうです。

自分で「コロナ宣言」をして、引くに引けなくなった母は、自分の部屋(隔離部屋)から出ることが出来なくなりました。しかし、引きこもりの理由は、いつのまにか「パパはママが下の階に行くのを嫌がる」という、父のせいになっていたのです。父もびっくり、こんなに尽くしているのに結局母の都合のいいように世の中は作り替えられてしまうのでした。

私が武漢肺炎ウイルスなら母には寄り付きませんね。

さて、妹のドラミちゃんも母に散々振り回されて疲弊していました。さらに母に帰省しろと言われたにも関わらず、色々身の回りの世話をさせられて限界が来ていたのでしょう。私のLINEに続いて「もっと家族の気持ちを考えてほしい」との旨のメッセージを投下しました。

すると母からこんな返信が来ました。

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誰かこれを日本語に翻訳願います。

そして、母はその5分後LINEグループを抜けたのでした。その後の母の様子は想像に難くありません。きっと悲劇のヒロインとして、書斎に君臨しているにちがいありませんから。

母がバセドー病を発症したときは、母は病気の発覚が怖くて病院に行けず、おばあちゃまに病院まで連れて行かれていました。本来は病気になると診察されるのが怖い人間なので、まぁ、今回は元気で間違いないでしょうね。コロナ宣言(自称)のあとも、何事もなかったかのように仕事に行ってますからね。

全て母が蒔いた種ですが、母が部屋にいないといけない理由は父親が嫌がるからだし、LINEを抜けたのは娘たちにいじめられたから、と脳内変換がされているはずです。母は勢いでLINEグループを抜けたことをおそらく後悔しているでしょうが、私は家族ラインに招待する気はありません。

やはり家と同様、隔離のための距離というのは精神衛生を良好に保つために必要なものなのでしょうね。